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百合若、三穂太郎…日本各地の巨人伝説とダイダラボッチ

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南九州の「大人弥五郎」や「武蔵坊弁慶」のように、日本にはダイダラボッチと同一視される巨人の伝説、伝承が遺されています。

ダイダラボッチは古代から伝わる超巨人なのですが、弥五郎や弁慶は巨人と言えども、想像を超えるような巨大さはありません。しかし昔の人は、普通の人間よりも大きな巨人と言われる存在に、不思議なチカラや畏敬、神聖なものなどを見出していたようです。

日本各地にはほかにも様々な巨人の伝説があって、それらはダイダラボッチと交差しながら伝わって来ました。

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もうひとりの巨人・百合若

現代ではあまり知名度がないのですが、「百合若大臣(ゆりわかだいじん)」という武将の英雄伝説が各地にあります。幸若舞(能や歌舞伎の原型となった室町時代の芸能)や浄瑠璃、歌舞伎の題材になっていて、物語では平安時代初めの嵯峨天皇の頃に設定されています。

百合若は弓に優れた武者で若くして地方の国司となり、やがて日本を攻めて来たムグリ(蒙古、または鬼とも)を破り、さらに大陸に渡って大軍を討伐します。その後、部下の裏切りから置き去りにされ、妻の春日姫は百合若が死んだと知らされますが、日本になんとか戻り弓の競射の行事に運良く参加した百合若は、裏切った部下を射抜いて復讐し春日姫と再会を果たすというものです。

この百合若が、実は巨人だったという伝説があるのです。群馬県の妙義山に星穴岳という標高1,073mの山があるのですが、この星穴岳の頂上近くには「射抜き穴」と「むすび穴」という2つの穴がぽっかりあいています。この穴には百合若伝説があって、むかし百合若という巨人が碓氷川をまたいで妙義山に向かって矢を放ちました。この矢が中木山を射抜いて穴があき、今は星穴と呼ばれているというのです。

矢を射たときに百合若が踏ん張ったときの足跡が、片方の足が下横川の小山沢、もう片方が五科の中木というところに遺っていて、また妙義山神社には百合若の鉄の弓矢が納められているそうです。

 

各地の巨人伝説

浅間山のデーランボウ(ダイダラボッチ)が足を伸ばした先が妙義山だったという伝説があるように、この辺りもダイダラボッチに関わりの深い場所ですが、この星穴岳の伝説ではダイダラボッチではなく、弓矢の強者であった百合若大臣の巨人伝説となっているのです。

このような古代のダイダラボッチではなく、歴史の時代を舞台とした巨人の伝説は日本各地にほかにもあって、例えば岡山県の作州地域に伝わる「三穂太郎(さんぶたろう)」の伝説では、鎌倉時代末期に実在した武将、菅原三穂太郎満佐がモデルになっています。

この三穂太郎は蛇の精霊を母に人間を父として生まれた子で、成長すると標高1,225mの那岐山の高さを超える巨人になったと言います。那岐山に腰をおろし瀬戸内海で足を洗ったというほどの巨人ですが、豊田姫と作用姫という2人の人間の姫のどちらかを選んで妻とすることになった三穂太郎は豊田姫を選び、嫉妬した作用姫に草履に針を仕込まれてその傷がもとで死んでしまいます。蛇の精霊の子の三穂太郎は、金属に弱かったからです。

大地に倒れた三穂太郎の身体は各地に砕け散り、その血は川となり肉は黒ボクという土になったそうです。

そのほか、平安時代初期の蝦夷の首領であった「悪路王(あくろおう)」も巨人とされていて、一方では鬼とも言われています。吉備(岡山県)の「温羅(うら)」や美濃(岐阜県)の「関太郎」なども巨人とされた鬼で、ダイダラボッチからは離れて行くのかも知れませんが、普通の人間とは違う何か別の存在を伝えるものかも知れません。

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カテゴリ: その他

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