> >

ダイダラボッチとどこが違う?南九州の巨人・大人弥五郎伝説

5giant
 
南九州の鹿児島県や宮崎県には、「大人弥五郎(おおひとやごろう)」という巨人の伝説があります。「大人(おおひと)」とは巨人のことで、南九州では「弥五郎どん」という愛称で親しまれています。

この伝説の中心地、鹿児島県大隅半島の北西部の宮崎県と境を接する曽於市(そおし)大隅町には、小高い丘の上に高さ15mの弥五郎どんの像が建てられていて、町内にはその足跡とされる「弥五郎畑」や「弥五郎どん窪地」などが遺っています。

それではこの大人弥五郎とは、東日本のダイダラボッチと同じ古代の巨人だったのでしょうか。

スポンサードリンク


 

熊襲・隼人族につながる大人弥五郎

かつて曽於の辺りは、奈良時代初めの713年にできた大隅国(鹿児島県東部)に属していましたが、それ以前の古代には日向国(宮崎県)の一部で、『日向国風土記』には「日向国曽於郡」という地名が出て来ます。

天孫降臨神話で邇邇芸命(ににぎのみこと)が地上に降り立った場所として、日向国高千穂(宮崎県西臼杵郡高千穂町)と共にこの曽於郡の霧島山(霧島連峰)も神話に出て来る高千穂峰ではないかとされる場所です。

さて古代の南九州は「熊襲(くまそ)」と呼ばれる部族が治めていて、大和朝廷に反してたびたび争乱を起こしました。またこの熊襲は後に隼人族となったと言われています。

日本神話の英雄である日本武尊(やまとたける)が征伐した熊襲の長、熊襲建(くまそたける)がこの大人弥五郎のことである、という説があるそうです。また、その後の大和朝廷の支配に抵抗し、720年の「隼人の乱」で大伴旅人を将軍とした朝廷軍と戦った隼人族の最後の長が、大人弥五郎であるという説もあります。

東日本のダイダラボッチと異なって、とても現実的な伝説を持っている大人弥五郎ですが、一方で普通の人間とは違う巨人であったということに変わりはありません。

 

弥五郎どんと八幡神社

曽於市大隅町では、毎年11月3日に900年以上の伝統があるという「弥五郎どん祭」が行われて、背丈が5m近くもある弥五郎どんが岩川八幡神社から市内を練り歩きます。

また宮崎県側でも、都城市の的野正八幡宮や日南市の田ノ上八幡神社で弥五郎どん祭が行われます。的野正八幡宮が長男、岩川八幡神社が次男、そして田ノ上八幡神社が三男なのだそうですが、どれも八幡神社であることに大きな意味があるようなのです。

八幡神社の大もとは、大分県国東半島の付け根に位置する宇佐市の「宇佐八幡宮」。日本の民俗学を確立した柳田國男によると、九州東部の宇佐とその周辺は古代の巨人伝説の中心地だったといいます。例えば、大分県の湯布院盆地がむかし大きな湖で、湖の鬼門の位置に聳える由布岳には宇奈岐日女(うなぐひめ)という女神がいて、その側近は巨人だったという伝説があります。

八幡神社は、九州を拠点に三韓征伐をしたという神功皇后の息子の応神天皇が八幡神とされる武神の神社で、720年の「隼人の乱」の際には宇佐八幡宮の八幡神が自ら征討に赴いたといいます。八幡神への信仰が広がるとともに九州の巨人は埋もれて行き、大人弥五郎は八幡神の家来になったというのです。そんなことから現在でも弥五郎どんは、八幡神社の祭りに登場するのでしょうか。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

カテゴリ: その他

Comments are closed.