> >

大炎上!福来友吉博士の透視・念写実験はイカサマだった?

サイコメトリー
 
1910年、当時の東京帝国大学助教授にして超心理学者の福来友吉博士らがおこなったふたつの念写に関する実験、つまり「御船千鶴子氏の透視実験」と「長尾郁子氏の念写実験」は、さながら現代のインターネット上の情報のように、圧倒的なスピードを持って世間に広まり、さまざまな論争を呼び起こすことになりました。

特に、念写というキーワードを生み出すこととなった「長尾郁子氏の念写実験」は、透視の先駆者であった御船千鶴子氏の死のきっかけにもなってしまっています。

スポンサードリンク


 

御船千鶴子は念写実験の社会的評価に絶望し…

新しい出来事の情報は、それまでの常識や、科学的根拠や裏づけがないものであるが故に、激しいバッシングを伴ってしまうことも多々あります。「御船千鶴子氏の透視実験」や「長尾郁子氏の念写実験」も然りで、特に前者は、透視する際には聴衆に背を向け、なおかつ10分以上の時間をかけておこない、さらに透視に成功したのは専ら「ノリで封をした封筒の中の紙の記載内容」であったことから、当初から世間の論調には「イカサマではないか」といったものが多数存在していました。

そんな中「長尾郁子氏の念写実験」についても、東大や京大の教授といった有識者の発表とはいえ、物証に乏しいところが多かったために、否定的な論調は少なくなく、むしろ世論全般として今でいう「炎上状態」になってしまっていた、といっても過言ではなかったようです。

折から世間のバッシングを受けていた御船千鶴子氏は、後続の長尾郁子氏に対する世間の評価に絶望し、1911年、実験報道のわずか半年程度後に、ついに服毒自殺に至ってしまった、といいます(もっともこれには諸説あり、「父親との間で起こっていた金銭トラブルが大きな原因であった」ともいわれています)。

 

福来友吉博士のその後

これらの実験や念写の学会発表、これに付随する事件の結果、福来博士は、東京帝国大学およびその周辺学会を追放(厳密には「休職」とされています。主な事由は「東大教授として好ましくない」とのことです。)となってしまい、新聞報道をはじめとした世間一般から「イカサマ師」「ペテン師」といった屈辱的なレッテルを貼られてしまいました。

その後の福来博士はメインの研究フィールドを、禅やオカルト分野に重きを置いた「精神研究」に移しつつ念写の研究を続け、仙台市青葉区台原を拠点に「福来心理学研究所」を設立。さらに念写を含む超能力の研究をおこないますが、世間の悪評はくつがえることなく、1952年にはその生涯を終えています(享年82歳)。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

カテゴリ: その他

Comments are closed.