浦島太郎はいつ、どこにいた?実は深い歴史のある物語の「浦島伝説」
誰でも知っている日本のおとぎ話といえば、桃太郎に花咲じじい、さるかに合戦や舌切り雀、かちかち山などでしょうか。この5つは「日本五大昔話」と言われていて、どれも室町時代末期から江戸時代にかけて成立したものだそうです。
そのほかに有名なものでは、金太郎に一寸法師、そして浦島太郎。
これらのおとぎ話、昔話のなかで特別に古い歴史を持ったお話がどれか、みなさんはご存知ですか?それは浦島太郎なのです。
古代から伝わる浦島太郎伝説
浦島太郎のお話も、広く知られるようになったのは室町時代から江戸時代にかけてだと言われています。それはこの時代に成立した「御伽草子」という物語集や、能の脚本である「謡曲」の題材に浦島太郎の伝説が採り上げられたからです。
しかし、その元となる伝説は遥か昔の古代から伝わって来たものなのでした。
最も古くに記録されたものは、奈良時代にまとめられた「日本書紀」と「丹後国風土記」です。日本書紀は720年に完成し、風土記も同じ頃に編纂されました。浦島太郎について記述があるのは、日本書紀では巻第14の雄略天皇22年。機械的に西暦に置き換えると、雄略天皇22年は478年であり古墳時代のことになります。
また丹後国風土記は、現在の京都府の丹後半島やその周辺部におかれていた丹後国の伝説や様々な由来を記したもので、特に浦島伝説とともに羽衣伝説も記述されていることがよく知られています。
浦島太郎は丹後国にいた人なのか??
丹後国風土記の浦島伝説については、また別の記事で詳しくご紹介しようと思いますが、日本書紀の記述はとても短いものです。それによると、
以上が日本書紀の記述ですが、私たちが知っている浦島太郎のお話とはちょっと違いますね。
おとぎ話では浦島太郎は、いじめられていた亀を助けたお礼として亀に乗って龍宮城に行き、乙姫さまたちに歓待を受けて何日が過ごします。やがて故郷に帰ろうとすると、乙姫さまから決して開けてはいけないという玉手箱を貰います。浦島太郎が故郷に帰ると、そこは長い年月が過ぎていて太郎を知っている人は誰もいません。玉手箱を開けると中から白い煙が立ち昇り、その煙を浴びた浦島太郎は老人の姿に変わってしまうのです。
日本書記のお話はとてもシンプルですが、それでも海中の別世界に行くという浦島伝説の源流があったことはわかります。ということは、浦島太郎は古墳時代に日本海に面した丹後国にいた人だったのでしょうか。しかし、浦島太郎の物語はとても謎の多い伝説で、それほど簡単なものではなかったのです。