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ヤマタノオロチを斬ったスサノオの剣。天叢雲剣に強靭さで負けた?

刀剣伝説

 

古事記・日本書紀に語られる八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)の物語は、日本の神話のなかでも誰もが知る有名なもののひとつではないでしょうか。
この物語の内容や八岐大蛇については、龍蛇をテーマとした別の記事で詳しくご紹介しています。また八岐大蛇の体内から見つかった「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」、またの名を「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」についても、別の記事でご紹介しました。
そして今回の主役は、須佐之男命が八岐大蛇を斬った剣です。

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八岐大蛇の首を斬り落とした剣

八岐大蛇退治の神話でどうしてもクローズアップされるのは、後の三種の神器であり英雄・日本武尊(やまとたけるのみこと)の剣となった天叢雲剣/草薙剣なのですが、この神話にはもう一本、重要な役割を果たした剣が登場します。それが、須佐之男命の持つ「十握剣(とつかのつるぎ)」です。

 
この剣が、須佐之男命の父神である伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の持っていた聖剣、「天十握剣」またの名を「天之尾羽張(あまのおはばり)」と同じものなのかどうかはわかりません。須佐之男命が高天原に行った時に佩いていた(腰につけていた)剣が十握剣ですから、これはもしかしたら父から譲り受けた天十握剣かも知れません。

 
古事記では高天原での天照大神との「誓約(うけい)」の際に、天照大神が須佐之男命からこの剣を渡され、3つに折って噛み砕き3人の女神が生まれたと語られています。ですから、そのあと高天原を追放され地上に向かった時に持っていた十握剣は、3つに折られたという剣とは別物かも知れないのですがこの辺も謎です。

 
出雲国の「肥河(ひのかわ、現在の斐伊川)」の川上の「鳥髪山(現在の島根県船通山)」のふもとに降り立った須佐之男命は、八岐大蛇に立ち向かうことになるわけですが、酒に酔わせたあとその8つの首を斬り落としたのが、このときに持っていた十握剣です。
しかし八岐大蛇の尾を斬ろうとしたところ、何かに当たって刃が欠けてしまいます。それは、尾の中にあった天叢雲剣に当たったからなのでした。つまり、須佐之男命の十握剣よりも八岐大蛇の体内の天叢雲剣の方が強かった、というわけです。

 

 

神話の主役になれなかったスサノオの十握剣

日本の国土や神々を生んだ伊邪那岐命の息子で、高天原を治める最高神の天照大神の弟である天津神・須佐之男命の持つ剣、つまり位のとても高い神が持つ剣が、地上を荒らしていた龍蛇神の体内にあった剣よりも弱かったのですから、これは考えようによっては不思議な話です。しかしそれだけ、八岐大蛇の体内にあった天叢雲剣が貴いものであったということなのかも知れません。

 
とは言っても、須佐之男命の十握剣の価値が低かったわけでは決してないと思います。本来は八岐大蛇を斬ったこの剣が主役になってもおかしくはなかったのですが、この後に続く神話の剣の主役は天叢雲剣=草薙剣となりました。

 
この十握剣の別名として、「天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)」(古語拾遺)や「蛇之麁正(おろちのあらまさ)」(日本書紀)といった名称があります。天羽々斬剣の「はば/はは」とは蛇のことで「かか」とも言い、例えば日本全国にいるヤマカガシという毒蛇は「山にいる蛇(カガシ)」という意味です。「天(あめの)」は天上界の聖なるものですから、つまり天羽々斬剣という名前は「龍蛇を斬った聖なる剣」ということです。
日本神話では主役になれなかった十握剣=天羽々斬剣。しかしこの剣が、古代日本の聖剣のひとつであったことは間違いないのです。

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