サン・ジェルマン伯爵の錬金術と神智学、ニューエイジ思想
中世ヨーロッパ最大の謎にして、不老不死伝説の持ち主でもあるサン・ジェルマン伯爵は、18世紀中頃までは、作曲家兼バイオリニストとしてイギリスで暮らしていた、といわれています。その後何らかの罪で投獄された後フランスに移住し、現在語られているような不老不死や錬金術に関する伝説を築いていった、とされています(1745年からおよそ10年間のサン・ジェルマン伯爵の足取りは、明確にされていません)。
その結果サン・ジェルマン伯爵は、19世紀に端を発する神智学や、その後発展したニューエイジ思想において、非常に高い評価を得ているようです。
シャンポール城での研究
サン・ジェルマン伯爵は、1758年頃フランスに移住した後、当時誰も住んでいなかったシャンポール城という城を、時の国王の部下であるマリニー侯爵から割り当てられ、そこで錬金術の研究を重ねていたもの、といわれています。
しかし当時、彼は高い頻度でパリで活動しており、シャンポール城での研究成果よりも、パリでのエピソードのほうが有名になり、「謎の人物」との評価を得るようになった、といいます。パリでの活動でポンパドゥール公爵夫人経由で、国王であるルイ15世の知己も得て、その地位を不動のものにしていったようです。
18世紀頃から哲学者の間で広まり始めた神智学
サン・ジェルマン伯爵が手掛けていた錬金術は、物質的なものには本質的(または霊的)なものが存在し、それを移植することで、物質間の差異をなくす、つまり「ある物質から別の物質を作る」、「人間から老いや死を取り去る(=物質的な肉体と、霊的な魂を分離して捉える)」、というところを目指していました。
サン・ジェルマン伯爵の時代にはそれほど広まってはいなかった神智学ですが、19世紀頃から、錬金術的な概念を支持する一部の哲学者の間で、学問として浸透していったようです。
現在は神智学といえば、、ロシア出身のヘレナ・ブラヴァツキー女史が主導していたといわれている思想を指すことが多いのですが、サン・ジェルマン伯爵についての見解も、かなり肯定的に考えている、といいます。
神智学とニューエイジ思想の関連
神智学が「本質的なもの、真理を追究している」点において、錬金術と目指すところと共通する部分があるのですが、現代におけるいわゆるニューエイジ思想も、霊的なものや意識レベルの感覚を重要視する思想であり、そういった観点では、サン・ジェルマン伯爵の存在や、彼が追及していた錬金術の、現代における代表的な解釈のひとつである、といえそうです。