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ホープダイヤモンドの呪いがもたらしたホープ家の災難とは

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中世のフランス国王一族であるルイ14世~16世の所有から、18世紀のフランス革命を経て、20年後、イギリスで競売にかけられたという、「呪われた宝石」といわれるホープダイヤモンドは、当時競売でいわくつきの宝石を購入したイギリスの資産家、ヘンリー・フィリップ・ホープ氏の名前を取って、ホープダイヤモンドと命名されています。ホープダイヤモンドは、ヘンリー・フィリップ・ホープ氏が購入してからおよそ65年程、ホープ一族の所有する宝石とされていましたが、その間にホープ一族は、数々の災難に見舞われています。

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大企業を経営していたホープ一族

ホープ一族が経営したといわれる企業、ホープ社は、1762年にイギリスで設立され、国家に対して貸付をおこなうなど、豊富な資金力と、国際的な評価を得ていたようです。しかし、1800年を過ぎてその勢いは衰え始め、競売がおこなわれ、ホープ氏がホープダイヤモンドを競り落としたとされる1830年頃には、かなり企業として失速していた、といいます。

それでも、個人として美術品などの収集家でもあったホープ氏の莫大な富は、ホープ氏に子供がいなかった(一説によると「いたが失った」ともいわれています)こともあって、3人の甥に引き継がれます。この美術品の中に、ホープダイヤモンドも含まれていました。

 

ホープ家はついに破産の憂き目に

美術品の相続を受けた3人の甥のうち、ヘンリー・トーマス・ホープという人物が、ホープダイヤモンドの相続を受けたようで、その後1851年にロンドン万博にホープダイヤモンドを出展し、その名を世界的に広めることになったようです。

しかし、その後もホープ家は、なぜか子宝に恵まれず、スムーズな資産相続とはいかなかったようで、ホープダイヤモンドを巡って、何度も裁判沙汰になった、といいます。いわゆる「呪われた宝石」のエピソードとしては、やや世俗的なイメージのエピソードですが、その後結局、1896年頃にはホープ家は破産の憂き目に遭うことになります。

 

その後アメリカに渡るも不幸は続く

その後1900年代に入って、ホープダイヤモンドはアメリカに渡ることになります。その名の由来となったホープ一族の手を離れた後も、ホープダイヤモンドはさまざまな問題を引き起こしていきます。

ルイ16世の斬首刑や、ホープ一族の没落・破産では完結せず、その後も100年以上も「負の情報」を発信し続けているホープダイヤモンドは、まさにいわくつきの宝石、「呪われたホープダイヤモンド」という通称にふさわしい存在である、といえそうです。

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カテゴリ: その他

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