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ホープダイヤモンドの呪いにまつわるルイ家凋落の歴史

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17世紀頃、フランスの商人であるジャン・バティスト・タヴェルニエが購入したとされるホープダイヤモンドは、「実は彼がインドの寺院にあった女神像から盗み出したものである」、とする説も存在しています。

盗まれたことで、寺院の僧侶がホープダイヤモンドに呪いをかけ、ジャン・バティスト・タヴェルニエは、入手直後に熱病で死んでしまった、といわれています(この説にも諸説あり、「狼、もしくは野犬に食べられて死んだ」とも、「彼自身には災いはおよばず、84歳まで生きて、老衰で死んだ」、ともいわれています)。「ホープダイヤモンドの呪われた伝説」は、ここから始まったのです。

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呪いに翻弄されたルイ14世

ジャン・バティスト・タヴェルニエによって世に出たホープダイヤモンドは、1668年には、当時のフランス国王であるルイ14世の手に渡った、とのことです。ルイ14世は、前国王であるルイ13世の長子で、太陽王との異名も持っていました(72年もの在位期間を誇ることから、「中世以後の国家元首としての、在位期間が最長である」として、ギネス世界記録に認定されている、とのことです)。幼くしてフランス国王の座に即位したルイ14世は、重商主義政策や絶対君主制などを打ち出し、ヴェルサイユ宮殿の建設などもおこなっていきましたが、晩年は膨大な戦費の投入や、放漫財政による財政破綻を引き起こしたり、相次いで子供を失ったり、といった災難に見舞われます。

 

ルイ15世に引き継がれたホープダイヤモンド

唯一生き残り、わずか5歳で即位したルイ15世は、イギリスのガーター騎士団に倣って設立された、カトリック守護のための世俗的な騎士団である金羊毛騎士団(ゴールデン・フリース騎士団や、トワゾン・ドール騎士団ともいわれています)用のペンダントとして、ホープダイヤモンドを引き継ぎました。ルイ15世は、政務を摂政であるオルレアン公フィリップ2世(ルイ14世の甥にあたる人物)に任せ、自身は政治に無関心で、多くの愛人を作り、奔放な人生を送っていた、とされています(愛人の多さから、「最愛王」との異名を持っています)。その後64歳で、天然痘にかかって亡くなってしまいます。

 

ルイ16世はフランス革命で処刑の運命に

王家の財産であるホープダイヤモンドは、ルイ16世に引き継がれます。ルイ14世、15世と続いた放漫財政により弱体化していたフランスでは、1789年にフランス革命が起こり、最終的にルイ16世はギロチンで斬首刑となるのですが、この時期のフランスの弱体化や、ルイ家にまつわる災いの数々が、ホープダイヤモンドの呪いの根拠となっているのです。

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カテゴリ: その他

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