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天叢雲剣はなぜ神の剣となったのか(2)辟邪の剣

刀剣伝説

 

神話の世界では、八岐大蛇(やまたのおろち)の体内から取り出された「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」は、高天原の天照大神に献上されて神の剣となり、やがて天孫降臨で地上に戻って来ます。
それでは、古代の日本では刀剣とはどんな存在だったのでしょうか。

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戦いが多く起こり、武器が発達した古代の日本

多数の小さな国々があった弥生時代、国と国との戦いが数多くあったとされ、紀元2世紀の後半頃には倭国大乱と呼ばれる戦乱が起こります。
やがて大乱は治まり、卑弥呼の時代から大和朝廷の日本の統一へと向かうわけですが、当然ながら戦うための武器はより強力なものへと変化して行きます。

 
ほかの技術やモノと同じように武器も、この時代の先進地域である大陸から日本へと渡って来て、次第に日本でも生産されるようになりました。はじめは石や木製の武器であったものが、青銅といった金属製になり、ついには鉄製の武器になります。大陸から渡って来た刀剣も初めは銅剣であったものが、鉄剣へと変わっていきます。

 
出雲の荒神谷遺跡で発見された358本もの銅剣は、弥生時代の中期(紀元前400年頃から紀元50年頃まで)に製造されたものと推定され、まさに古代日本で戦いが多くあったことを想像させます。

 

 

武器のなかで最も強力だったのは鉄剣!?

かつては木製のこん棒や石の斧、竹槍などが武器の主流であったものが、銅剣や銅矛などの金属製の武器の登場によって、その戦いの様相は一変したことでしょう。荒神谷遺跡の数多くの銅剣は、この当時の出雲国の強大さを物語っています。

 
やがて現れた鉄製の武器は、それを大きく上回るチカラを持っていました。特に鉄剣の突き刺し斬る威力は、銅剣を遥かに凌いでいたと思われます。おそらく鉄剣の数が戦いの優劣を決めたのですが、しかしながら数多くの鉄剣を揃えるのは大変なことでした。

 
そのようなことから刀剣、特に鉄剣はその国や部族の長の権威の象徴となり、国や部族の命運を決める守護神として神性が与えられていったのです。

 

 

辟邪の武器としての神の剣

「辟邪の剣(へきじゃのけん)」という考え方があります。「辟邪(へきじゃ)」とは古代中国の伝承に出てくる神獣であり、頭には鹿の角に似た2本の角が生え、虎や獅子のような身体をして地上を歩く龍に似た想像上の動物で、邪悪なものを避けることから辟邪と呼ばれました。

 
古代の国や部族の長が持つ最も優れた鉄剣は、この辟邪のように対立する他国や他の部族、あるいは邪悪なものや悪霊、怨霊などを退ける「辟邪の剣」とされ、単なる武器を超越した神聖な武器、神が宿る「神器」と信じられたのです。

 
まさに天皇家に神話の時代から伝わる「三種の神器」のひとつである天叢雲剣は、最高峰の辟邪の剣であったということなのでしょう。天叢雲剣が龍蛇神である八岐大蛇(やまたのおろち)の体内から取りだされたという伝説は、この剣が最強の辟邪の剣であるという証しなのかも知れません。

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