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イタリア人宣教師作成?坤輿万国全図とメガラニカ大陸(前編)

メガラニカ大陸

 

時は江戸時代、1708年(宝永五年)の日本で、天文学者の西川如見が著したといわれる「増補華夷通商考」には、1522年に世界で初めて世界一周を敢行したとされる、マゼランにちなんで名付けられたという伝説の大陸、メガラニカ大陸が、「黒瓦臘尼加(「黒」という漢字は「墨」の誤記である、とされています)」という名前で記されていた、といいます。

 
鎖国中の日本において、西欧の伝説の大陸(もっともこの時代にはまだメガラニカ大陸が存在している、とする人が多かった、といいます)が認識されていたことは驚きですが、西川如見が日本の海外貿易拠点のひとつだった長崎出身であったことの他にも、メガラニカ大陸が認識されていた根拠となる事象が存在しているようです。これが、「坤輿万国全図」です。

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17世紀のイタリア人宣教師が作成した地図?

坤輿万国全図(「こんよばんこくぜんず」と読みます)は、17世紀のイタリア人宣教師(カトリック)である、マテオ・リッチという人物が、中国宣教の折に作成したもののようです。
日本で有名な宣教師である、16世紀のナバラ王国(現在のスペインはパンプローナの辺りに当時存在した王国)のフランシスコ・ザビエルをもってしてもなし得なかった中国宣教を成功させた人物として有名で、当時の明朝では知られた人物であったようです。

 
この地図は、マテオ・リッチ氏が明朝にいた当時の北京で、1604年(一説によると1645年ともいわれています)に刊行された、といわれており、当時鎖国状態であった日本にも、中国から入ってきたものとして輸入されています。
地図は、既に地球は球体であるとの前提(メルカトル図法という、16世紀に発表された地図使用のための投影法です)で作成されており、6枚1組という本格的なものです(現在の日本においては、宮城県図書館と、京都大学図書館に、そのレプリカが存在しているそうです)。

 

 

オーストラリアと南極が一体化してメガラニカ大陸とされている

坤輿万国全図では、西川如見の地図と同様に、オーストラリアと南極が一体化されたものとして、メガラニカ(=黒瓦臘尼加)大陸が描かれています。
18世紀になると、西欧の世界地図からはなぜかメガラニカ大陸が消滅してしまいますが、江戸時代の地図にはまだ存在しています。

 
日本では、新井白石が1709年にオランダ版「ブラウの地図(ごく初期の世界地図)」を入手したといわれていますが、ここにもメガラニカ大陸が描かれていた、といいます。
当時の日本の認識は、世界的な認識から100年程度遅れていた、と考えられます。

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カテゴリ: その他

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