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メガラニカ大陸とオーストラリアの関連性(後編)

メガラニカ大陸

現在のオーストラリアは、18世紀末期のイギリス入植以前には、およそ250もの言語グループに分けられるという、さまざまな先住民族が暮らす土地であったといいます。
16世紀の探検家、マゼランの航海によって全貌の調査がはじまったとされる、南半球に存在するという「仮定の大陸」であるメガラニカ大陸は、18世紀のイギリスの海軍士官ジェームス・クックによるオーストラリア東海岸到達以降、存在可能性が否定されるようになっていきました。

 
この過程で、メガラニカ大陸はニューオランダ、そしてオーストラリアといった呼称に変わっていきます。
呼称変更には、当時の関連各国の思惑が見え隠れします。

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オランダ色を払拭したいイギリスの意図?

1606年、オランダ人のウィレム・ジャンツという人物によって発見され、同じくオランダ人であるアベル・タスマンが命名したという「ニュー・オランダ」という呼称は、18世紀にイギリスが入植するまで続きます。
1770年、キャプテン・クックが初めて上陸した地域は、彼がニューサウスウェールズと命名したとされていますが、その後のイギリスの入植以降、イギリス人は好んで「オーストラリア」という呼称を使っていた、といわれています。

 
語源としては、マゼランの登場以降の「メガラニカ大陸」という呼称の定着以前の呼称である「テラ・アウストラリス・インコグニタ」のうちの「アウストラリス(南の、の意味)」に地名接尾辞の「イア(ia)」をつけて、「オーストラリア」、とした、とされています。
ヨーロッパ人としての最初の入植者として、発見者であるオランダ人の色を払拭したい、イギリスの意図が透けて見えます。

 

 

オーストラリアの呼称はマシュー・フリンダースが命名

オーストラリアという呼称は、イギリスの航海者で、海図作成者である、マシュー・フリンダーズが呼称の使用をイギリス海軍に勧め、先ほど述べたようなイギリスの思惑もあって、定着していったようです。
オランダ人によって発見されたニューオランダが、ポルトガル人であるマゼランにちなんで付けられたメガラニカではなく、古代ギリシャに提唱されたテラ・アウストラリス・インコグニタにちなんで、イギリス人によって「オーストラリア」として命名され、かつての「幻の大陸」のイメージは、より現実的なものに置き換えられました。

 
こういった経緯で、メガラニカ大陸の名は、オーストラリアに変化していったのですが、この変化によりメガラニカ大陸は、実在の大陸を指すのではなく、「かつて仮定として存在した、想像上の大陸」という意味合いを持つに至ったのです。

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カテゴリ: その他

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