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ムー大陸民の末裔は日本に渡ってきた?ムーと日本の類似性とは

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ムー大陸で暮らした人々の末裔に、日本が含まれているという説は多数あり、これらの説を裏付けるための研究は、沖縄与那国島の海底遺跡の調査をはじめとして、今も継続して実施されています。科学的、学術的な確証があるものばかりではないものの、一部は状況証拠として十分な根拠を示すことができる材料も、存在しているようです。

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縄文土器の技術分布とムー大陸

日本とムー大陸を結びつける説は、史料や文書だけではなく、文化や技術といった切り口でも語られています。たとえば、日本で出土している縄文式土器が作られた縄文時代は、およそ1万6000年前から、2300年前頃の時代である、とされていますが、ムー大陸が消滅した、といわれている、およそ1万2000年前よりも、古い時代から存在していた、という説が有力です。日本の縄文式土器製作の技術と同様の製法を使って製作した、と思われる土器は、南米ボリビアからも出土しています。

 

縄文人の移動にムー大陸が使用された?

日本のルーツを考えるにあたって、現代ではDNA鑑定や染色体といったレベルの調査がおこなわれており、中国大陸や朝鮮半島には見られない特徴が、南米やチベットなどには見られることがわかっています。こうした事実から、1万6000年前に海を渡る技術を持っていたとするよりも、現在海となっている場所に当時は陸地があり、長い期間をかけて歩いて渡った、と考えるほうが自然である、と考えられています。こうした背景から、縄文人が移動に使用した陸地が、現在ムー大陸として伝わっている伝説の陸地なのではないか、との説が唱えられているのです。

 

言語的な類似性も見られる

「縄文人の人種的な分布」を裏付ける証拠として、骨格やDNAといった生物学的特徴のほかにも、言語的な類似もあげることができます。日本語と南方ポリネシア方面の言語は、中国語や韓国語とは異なる学術的な類似性が見られるとのことで、言語的な面からも、縄文人が移動したという仮説の根拠になりうるそうです。ムー大陸とチリのイースター島との関連は、1930年にアメリカで発表された『失われたムー大陸』で提示されているとおりですが、イースター島に伝わる「ロンゴロンゴ文字」と、日本の古代文字との類似性も指摘されているところです。そのほか、日章旗とムーの紋章との類似性や、沖縄与那国島の海底遺跡で発見されたロゼッタストーンなど、少しずつですが仮説を裏付けるための検証材料が積み上げられており、日本とムー大陸の関連性が、明確に示される日が来る可能性も、無きにしも非ず、といえそうです。

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カテゴリ: その他

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