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ムー大陸は日本につながっていた?ムーの文明についての解釈


 
ムー大陸伝説が日本と関連性を持っている、という見方は、1930年代に、ムー大陸の概念が日本に紹介される以前から存在していたようで、公式には認知されていないものの、一部では「かつて大陸が存在したが消滅し、現在の日本は、文化や人種において、その流れを汲んで現在に至っている」との思想は、複数存在していたようです。

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竹内文書の存在

1920年代に著された『霊界物語』に登場する「黄泉の島」のほかに、1940年頃に話題になっていた、「古史古伝」のひとつである竹内文書にも、ムー大陸を思わせる記載が存在しています。「古史古伝」とは、一般に認知されている『古事記』や『日本書記』といった、古代日本の根拠を示す主要な文書に対して、著しく内容が異なる内容を持つ、文書や物品の総称とのことなのですが、このなかの竹内文書には、「ミヨイ」、「タミアラ」という大陸の陥没が描かれており、日本とムー大陸との関連性が示されている例のひとつ、と見ることができます。

 

多人種が暮らしたムー大陸

「ミヨイ」や「アミタラ」という島には、五色の人種(白人、黒人、黄色人種を示すと思われる黄人のほか、赤人、青人もいた、と記載があります)に加えて、王族である黄金人が暮らしていたとしていますが、天変地異が起こり、島が沈没してしまったために、日本を含む太平洋沿岸部に避難した、としています。

西欧のノアの箱舟伝説や、日本古来から存在していた天皇家との関連など、一般的に浸透している日本の歴史との差異は大きく、にわかには信じがたい部分はあるものの、ムー大陸伝説のもととなったエピソードのひとつ、といえそうなものです(もっともこの説は、現在学術的には否定されていて、ムー伝説は存在しないものとして取り扱われているそうです)。

 

「ムー大陸から来た日本人」説

また、1980年には、日本の地球物理学者で、東京大学名誉教授にして理学博士であり、現在も存続している科学雑誌のひとつ、『Newton』の初代編集長でもある竹内 均氏が、『ムー大陸から来た日本人』を発表し、「ムー大陸は存在しなかったが、ムー文明は存在したのではないか」、という新しい説を唱えています。

氏は、1970年代に一大ブームを巻き起こしたSF小説『日本沈没(著者は小松左京)』の原作執筆ブレーンとして活動したり、ドイツの気象学者であるアルフレート・ヴェーゲナーが提唱した、大陸移動説やプレートテクトニクス説を学術的に体得してムー文明の解釈を提示するなど、ムー伝説と日本を結びつけるうえで、科学的な仮説を用いた画期的な説であった、といえます。

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カテゴリ: その他

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