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浮上したムー大陸=沖縄説!与那国島海底遺跡とは

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1862年頃、フランスの聖職者が発見した「ユカタン事物記」の解読から始まり、1931年頃にアメリカ在住のイギリス人作家、ジェームズ・チャーチワードが発表した『失われたムー大陸』という著書で、一気に世界的な関心事となったムー大陸は、その存在についての確証が得られないまま、現在に至っています。

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確たる証拠が乏しいが故に、さまざまな仮説を生み出しているのですが、日本の沖縄とムー大陸の関連も、有力な説として今も根強く語られています。

 

発見は1986年、沖縄

ムー大陸と沖縄の関連付けは、比較的近年に発見された遺跡によってなされました。1986年、沖縄は与那国島南部の新川鼻(「あらかわばな」と読みます)という地の沖合いの海底で、人工的な建造物のような物体が発見されました。発見したのは地元のダイバーである新嵩喜八郎(あらたけきはちろう)という人物で、全長およそ200メートルにもおよぶ、階段状に加工されたように見える巨大な岩を見つけた、とのことです。その後も周辺で、人工的な加工をほどこされたように見える遺跡が次々と発見され、何らかの文明の遺構ではないか、との憶測を呼びました。

 

琉球大学の木村教授の新説

これらの発見について、琉球大学の木村政昭教授から、衝撃的な発表がなされました。それは、「これらの遺構はほぼ間違いなく過去の文明の遺跡であり、もしかしたら伝説のムー文明のものではないか」、といったものでした。この説は、単に海底遺跡が発見されたことだけを根拠としているのではなく、「沖縄周辺の琉球諸島の島々と、中国大陸がかつてつながっていたが、ある時期に天変地異によって分断され、海底に沈んでしまった部分が、実はムー大陸ではなかったか」、といった仮説をもとに、海底遺跡の存在と合わせて「ムー大陸=琉球説」としています。

 

石版の発見も波紋を広げ…

また同時期に、ロゼッタストーンと呼ばれる、絵文字の刻まれた石版が発見されていますが、絵文字の形状が、前述のジェームズ・チャーチワード氏が著書に記載している「ナーカル碑文(こちらは石版ではなく粘土版)」に酷似している、という特徴も備えています。しかし、発見された海底遺跡と思われる建造物は、現在のところ「見た目が人工的な加工物と思えること」以外に「建造物である」という物的証拠がなく、未だ結論は出ていません。とはいえ逆に、「自然にできた地形である」とするにはあまりにも人工的で、まだまだ調査の余地を残している、謎の物体であることには違いありません。

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カテゴリ: その他

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