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ムー大陸伝説の発祥と提唱者チャーチワードにまつわる疑惑

不思議体験
 
ムー大陸の伝説は、アメリカ在住だったイギリス人作家である、ジェームズ・チャーチワード氏によって、1926年に発表された『失われたムー大陸』という著書によって、広く世界中に知られるようになりました。

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それ以前にも、1863年の、フランス人聖職者シャルル・エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブルブールによる論文や、1882年に、アメリカの政治家であるイグネイシャス・ロヨーラ・ドネリーによって発表された『アトランティス~大洪水前の世界』の中で、アトランティスとムーの関連が言及されるなど、一部の識者の間では、語られたりすることがあったようですが、ムー大陸について、日本を含めて世界中に広めたのは、ジェームス・チャーチワード氏である、といえそうです。しかし後年、さまざまな疑惑が浮上しています。

 

太陽神の化身を中心とした国

チャーチワード氏の説によると、ムー大陸は、太陽神の化身であるラ・ムーという君主(白人であるとされています)を中心に、人口約6400万人という多くの人々が暮らし、現代よりもはるかに高度な文明を構築していた、としています。その面積は、オーストラリアの数倍にも達し、そこに暮らす人々の人種も多種多様であった、とのことです。またこれらの情報は、チャーチワード氏が軍人としてインドに配属されていた時期に、現地在住のヒンドゥー教の高僧から、ナーカル碑文という文字の書かれた粘土板を示されたことでもたらされた、とのことで、ナーカル文書の解読には、2年を要した、とも語っています。ムー大陸が一夜にして海底に沈んだというエピソードも、チャーチワード氏の著書によって浸透したようです。

 

経歴詐称から始まった疑惑

しかしその後の調査で、チャーチワード氏がイギリス軍に属していたという記録は残っていないことが判明し(本人は大佐という身分であった、と語っていたそうです)、また、ナーカル碑文を発見した場所や、粘土板についてチャーチワード氏に話したという高僧の名前などについて、著書の中で一切記述していないことも疑惑を呼びました。写真なども残っておらず、チャーチワード氏が示した、ムー大陸に関するさまざまな情報の信憑性が疑われています。

 

メキシコの石版にも疑問符がつく

さらに、チャーチワード氏がナーカル文書との類似性を主張しているという、メキシコの石版(チャーチワード氏の友人が発見した、としています)も、チャーチワード氏以外に解読したという例はなく、学術的な裏づけが不足しているようです。こうしたことから、チャーチワード氏の主張は、大きな話題にはなったものの、現在ではあまり重要視されていないようです。にもかかわらず、ムー大陸伝説の注目度が落ちることがないことも、また事実です。

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カテゴリ: その他

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