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アレクサンドリアの大灯台は異色の「世界の七不思議」だった!

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「世界の七不思議」という言葉の発祥は、紀元前2世紀頃にまで遡ります。提唱したのは「ビザンチウムのフィロン」なる人物。そしてその100年程後に、アレクサンドロス3世(日本ではアレキサンダー大王として知られています)に仕えた学者アンティパトロスが、フィロンの七不思議を提唱したとされる書物の詩をまとめたことが始まりである、とされています。「当時の驚異的な建造物」を七つあげたものなのですが、その中で実用的な建造物であったのはただひとつ、アレクサンドロスの大灯台のみであった、とされています。

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豪華絢爛さを誇示するために作られた他の建造物

当時フィロンが七不思議としてあげた建造物は、

・ギザの大ピラミッド
・バビロンの空中庭園
・エフェソスのアルテミス神殿
・オリンピアのゼウス像
・ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
・ロドス島の巨像
・バビロンの城壁

の7つでした。ところが、後のアンティパトロスの精査によって、バビロンの空中庭園と混同されがちだったバビロンの城壁は七不思議から除外され、新たに加えられたのがアレクサンドリアの大灯台だったのです。

王家の巨大な墓や、神を讃えるための像、贅沢品としての宮殿などがあげられているなか、大きな貿易港として栄えていたアレクサンドリア港の要として機能していた大灯台は、その豪華さもさることながら、実用面でも、当時非常に役に立つ建造物であった、といえそうです。逆に、他の七不思議は、主目的が「創建した人物=各地域の王の権威と財力を示すものであった」、と考えられます。

 

栄華盛衰を物語る元祖七不思議

もともとの位置づけが「当時の王の栄華を、内外に示すもの」であったことから、それ相応の反発や、政治的宗教的な反感をもたれるような場合も多かった七不思議は、ギザの大ピラミッド(エジプトの王家の墓、とされています)以外は、現在ではすべて消失してしまっています。アレクサンドリアの大灯台はその実用性から、最も近年まで残っていたのですが、地震という天災には勝てず1480年頃には消失してしまいます。残っていれば今も機能していることが予想されるため、非常に惜しいところです。

 

投票で選ばれた新たな世界の七不思議

ピラミッドを除くと、今は亡き「旧七不思議」なのですが、現代において、スイスにある「新世界七不思議財団」という団体が、新たな世界の七不思議を提唱しています。

・中国の万里の長城
・インドの廟堂タージ・マハル
・イタリア・ローマの古代競技場コロッセオ
・ヨルダンの古代都市遺跡群ペトラ
・ブラジル・リオ・デ・ジャネイロのコルコバードのキリスト像
・ペルーのインカ帝国遺跡マチュ・ピチュ
・メキシコのマヤ遺跡チチェン・イッツァ

が該当するとのことです。
これらは投票で選ばれたといいますから、旧七不思議の存在や作られた背景などを考えると、隔世の感があります。

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カテゴリ: その他

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