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アレクサンドリアの大灯台や大図書館が建設された歴史的背景

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アレクサンドリアとは、現在ではカイロに次ぐエジプト第二の都市であり、都市の発祥は紀元前331年にまで遡ります。高さ約130メートル(一説によると150メートル以上)もあったというアレクサンドリアの大灯台は、今から2000年以上も前の、紀元前3世紀頃に建設されたと言われています。さらにアレクサンドリアには、蔵書約70万冊の、とてつもなく大きな図書館も存在していたようです。さて、この大灯台や大図書館は、どういった経緯でアレクサンドリアに建設されたのでしょうか。

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アレクサンドロス大王からプトレマイオス1世へ

アレクサンドリアを開いたのは、その名の由来ともなっている、アレクサンドロス大王(アレクサンダー大王とも呼ばれています)であり、その後プトレマイオス朝の創始者である、プトレマイオス1世(こちらはソテール=救済者という別名を持っています)によって、都市として大きく発展がなされました。プトレマイオス1世は、アレクサンドロス大王が没した際に、バビロンでその遺体を奪い、自身が正当な後継者であることを主張した、という逸話を残しています。紀元前304年頃には、アレクサンドリアを首都とした、プトレマイオス朝の王として君臨します。アレクサンドロス大王の代から建設が進められていた、アレクサンドロスの大灯台は、着工後約20年ほど経た、プトレマイオス1世の時代になって、ようやく完成します。

 

エジプトとギリシャの文化融合を図る

当時、交易や金融といった手段で、巨万の富を築いていたプトレマイオス朝は、その首都アレクサンドリアを中心としていたこともあり、この地を学術文化都市として世界にその名を轟かそうとしていました。このため、豊富な資金を投入して、国内外から著名な学者、文化人、芸術家などを招聘するだけではなく、世界随一の学術文化都市として世界に誇れるような建造物の建設にも、次々と着手していったのです。そのひとつが、アレクサンドリアの大灯台であり、大図書館であったのです。

 

その後ローマの勢いに押されるようになる

長く続いたプトレマイオス朝の栄華ですが、次第にローマの勢いに押されるようになり、紀元前48年頃、プトレマイオス13世の頃には、有名なクレオパトラが登場し、ローマに接近しています(クレオパトラは、もとはプトレマイオス朝側の人物ですが、プトレマイオス13世と反目していたこともあり、ローマのカサエル、俗にシーザーと呼ばれる人物と手を組んでいます)。結果的に、この時期に大図書館は焼失しています。大灯台はその後も約800年ほど健在でしたが、796年に起こった地震により、倒壊してしまった、とされています。

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カテゴリ: その他

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