入れ替わった「世界の七不思議」アレクサンドリアの大灯台とは
古代ギリシャの時代、紀元前2世紀頃に、現在のトルコ領イスタンブールに位置する、ビザンチウムの旅行家兼数学者であるフィロンが「世界の七不思議」を提唱しました。これは当時、地中海周辺や小アジア地域に存在していた「驚異的な建造物」をあげていたもので、
「ギザの大ピラミッド」
「バビロンの空中庭園」
「エフェソスのアルテミス神殿」
「オリンピアのゼウス像」
「ハリカルナッソスのマウソロス霊廟」
「ロドス島の巨像」
「バビロンの城壁」
が該当していました。しかし後年、七不思議のひとつである「バビロンの城壁」は、「アレクサンドリアの大灯台」に差し替えられています。
七不思議に入っていなかったアレクサンドリアの大灯台
フィロンが七不思議にアレクサンドリアの大灯台を入れなかった理由は、彼は自分の住んでいる地域(当時アレクサンドリアに住んでいた、とのことです)の建造物を、七不思議に入れないことに決めていたからである、といわれています。その代わりにフィロンが七不思議に入れたのが、バビロンの城壁だったのですが、後年、他の七不思議であるバビロンの空中庭園と同一視されることが多くなり、アレクサンドリアの大灯台に差し替えられたようです。差し替えた人物が誰なのかは、記録として残っていませんが、フィロンが七不思議を提唱した後、シドンの学者アンティパトロスや、当時の名高い詩人などが、こぞって七不思議を取り上げていくうちに、アレクサンドロスの大灯台に変化していったようです。
創建は紀元前280年頃
アレクサンドリアの大灯台は、紀元前280年頃、ナイル川の河口に作られた貿易都市、アレクサンドリアの沖にあるファロス島に創建されました。高さは約130メートルという、当時としては突出して大きな建造物だったようで、50キロメートルも離れたところにもその灯りを認識できた、との伝説的な記録が残っています。アレクサンドリアは、紀元前332年頃に、マケドニア王国の国王であるアレクサンドロス3世によって建造されました。国王の死後に、アレクサンドリアを引き継いだのがプトレマイオス1世で、当地にプトレマイオス朝を開きました。
目的は船のための目印
プトレマイオス朝の首都であったアレクサンドリアなのですが、島の周囲は平坦であり、島を訪れる船の目印になるような建造物がなかったため、ランドマークとする目的で、紀元前305年頃に工事が開始されました。完成は着工から数十年後で、国王がプトレマイオス2世に代替わりした後でした。