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自由の女神を凌ぐ巨大彫刻!ロドス島の巨像とは?

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現代でも「七不思議」というキーワードがしばしば使われていますが、この言い回しは、もとは紀元前2世紀頃の古代ギリシャ・古代ローマの「世界の七不思議」がルーツとなっています。当時の地中海・小アジア地域において、「驚異的な建造物」を7つあげて構成されているのですが、そのひとつにロドス島の巨像があります。

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高さ約50メートルの巨像

ロドス島の巨像は、像の高さが約34メートル、台座を含めると約50メートルという巨大なものだった、といわれています。この大きさは、現代に存在する巨像にたとえると、アメリカの自由の女神に匹敵するという巨大さです(自由の女神の像の部分の高さとほぼ同じです。自由の女神は、台座を入れると約93メートルあります)。現在は残骸すら残っておらず、その姿は想像の世界にしか存在していないのですが、この像があったとされる場所は、エーゲ海南東部にあるロドス島だった、とされています。ロドス島は、アナトリア半島の沿岸部に存在している、ギリシャ領の島のひとつで、ギリシャの中では4番目に大きな面積を持つ島です。ロドスは、現在では、島で1番大きな都市となっています。

 

アポロ、ロードスの巨像とも

世界の七不思議にあげられている名称は、ロドス島の巨像なのですが、日本ではさまざまな別の名称で呼ばれることがあります。ギリシャ神話に登場する太陽神であるアポロンやソルと混同されることから、アポロの巨像と呼ばれたり、へーリオスの巨像、ロドスの巨像、ロドス島がロードス島とも記載されることからロードス島の巨像、その他にも島を取って、ロードスの巨像という呼称も存在しています。

 

製作は紀元前304年頃

ロドス島の巨像は、紀元前304年頃に、戦勝を祝うものとして製作された、とされています。紀元前323年に、アルゲアス朝マケドニア王国のバシレウス(通称アレクサンドロス3世)が死亡したあと、後継者不在のため、王国の分裂が起こりました。ディアドコイ(後継者の意味)戦争と呼ばれる戦争状態となった王国では、周辺地域を巻き込んで大きく色分けされ、大規模な戦争に発展しました。そんな中でロドス島は、エジプト領を持つ、プトレマイオス1世について戦います。対抗馬のアンティゴノス1世との戦いは、一進一退というところでしたが、ロドス島は最終的に勝利を収めます。ロドスの住民はこの勝利を喜び、太陽神であるへーリオスに感謝の意を捧げるために、巨大な彫像を作ることにしました。それが、ロドス島の巨像であったのです。

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カテゴリ: その他

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