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ハリカルナッソスのマウソロス霊廟の遺跡発掘とその後の調査

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紀元前350年頃に完成したといわれ、当時の小アジアの国であるカリアの統治者、マウソロスとアルテミシアの夫妻を納めるための霊廟(=墓)である、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟は、1400年代には当時度重なって起こったとされる地震の影響で崩壊しました。その後長い期間をかけて土中にうずもれたままになっていたそうですが、1800年代に入って、英国の考古学者によって発掘されることとなりました。

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マウソロス霊廟が19世紀に発掘されるまで

15世紀には聖ヨハネ騎士団という集団に、カリア国のあった地域が侵略され、既に崩壊していたハリカルナッソスのマウソロス霊廟。その残骸を資材として使用した城(=ボドルム城)が作られたりしていたのですが、その後土台だけになったハリカルナッソスのマウソロス霊廟は、資材として使用されなかった残骸と共に、土中深く埋まってしまいます。そのまま長い期間を過ごすことになりますが、実に数百年を経過した後、発掘されました。発掘したのは、大英博物館から派遣された、チャールズ・トーマス・ニュートンという考古学者です。彼は、1856年から発掘を開始しています。

 

該当場所は住宅地

チャールズ・トーマス・ニュートン氏は、発掘に先立って、プリニウスなどの古代ギリシャやローマの学者や識者が著した書物を読み込み、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟があったはずの場所を特定していきました。そして、おおよその大きさや位置を推理したうえで現地に入りましたが、当たりをつけた場所は、既に住宅地となっていて、即時の発掘調査が困難な状態であったそうです。彼は2ヶ月間土地の所有者や権利者と協議し、買い上げに成功しています。その後その場所(現在のトルコはボドルム)で発掘調査が開始されましたが、その結果推測どおり、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟のものと思われる階段や土台(基礎)部分、装飾品などが発掘されました。

 

盗掘されていた霊廟

はたして推測どおり発見されたハリカルナッソスのマウソロス霊廟ではありましたが、15世紀の聖ヨハネ騎士団による城の建設時に既に盗掘にあっていた、との記録どおり、棺の間と思われる場所からは、火葬された後に灰が納められていたはずのマウソロスとアルテミシアの夫妻の痕跡は、何も残されていなかった、とのことです。調査は更に詳細におこなわれ、後年1960年頃の調査によると、聖ヨハネ騎士団が侵入した時期(15世紀頃)よりもかなり以前に、既に盗掘が行われていたことが判明しています(棺の間の下に、かなり古い時代のトンネルのようなものが掘られていたことが、推論の根拠となっています)。

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カテゴリ: その他

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