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世界の七不思議・ハリカルナッソスのマウソロス霊廟が廃墟と化した理由

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紀元前350年頃に、カリア国(現在のトルコのボトルム)に作られたハリカルナッソスのマウソロス霊廟は、創建当時、地中海地域のなかでも壮麗で豪華な建造物として、世界の七不思議のひとつに数えられるほどの存在でした。現在は廃墟と化しているハリカルナッソスのマウソロス霊廟は、どのような経緯で倒壊し、現在に至ることになったのでしょうか。

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妻アルテミシアの死後に完成したマウソロス霊廟

ハリカルナッソスのマウソロス霊廟は、紀元前353年のマウソロスの死に先立って、その妻アルテミシアの命により、着工されました。その2年後にはアルテミシアも亡くなるのですが、完成は更にその後といわれています。依頼主が亡くなった後にも建設が継続された理由として、後年にローマの博物学者であるプリニウスが、「後年に残るほどの見事な建築と、彫刻などの装飾により、建築家や彫刻家の名をも残るであろう、と考えて、建設を継続したのではないか」、と語っています。実際に、設計者としてギリシア人建築家のピュティオスとサテュロス、彫刻家としてスコパス、レオカレス、ブリュアクシス、ティモテオスといった名前が、現代にも伝えられています。

 

1600年間は姿を留めていた霊廟

マウソロス夫妻の死後に完成したハリカルナッソスのマウソロス霊廟は、その後ハリカルナッソスがアレクサンドロス大王によって陥落した際にも、破壊されずに無事残っていました。その後も建物としては実に1600年もの長い期間残っていた、とされています。しかし、1400年頃までに何度も起こったといわれる地震により、建物はダメージを受け、1404年頃には、土台のみを残す姿となっていた、とされています。

 

聖ヨハネ騎士団の要塞建設の資材に

土台のみの姿になってさらに90年後の1494年、聖ヨハネ騎士団によってこの地が侵略され、侵略者による要塞建設(当地の名をとってボドルム城と名づけられます)が計画された際には、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟の周辺に残っていた残骸が、要塞建設時の資材として流用されています(このため要塞跡には、現在もハリカルナッソスのマウソロス霊廟のものと思われる大理石を見出すことができます)。資材の調達のために破壊された霊廟跡で発見された優れた作品群は、一部資材としては使われず、そのまま要塞に運ばれました。その一部が今も大英博物館に収蔵されていて、その壮麗さを確認することができます。

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カテゴリ: その他

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