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キリスト教布教の拠点となったエフェソスのアルテミス神殿

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紀元前の時代に世界の七不思議のひとつに提唱され、現在もトルコの世界遺産リストに掲載されている、エフェソスのアルテミス神殿は、もとは紀元前7世紀頃当時の、多神教の象徴的な建造物として創建された、といわれていますが、その後のキリスト教の台頭や、当時の人々の信仰の移り変わりの中で、多神教信仰の象徴としての地位を失っていった、と考えられています。古代ギリシャ時代、小アジアの中心的な都市であったエフェソスには、比較的早い段階で、キリスト教が浸透していった、と考えられています。

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多神教の時代

アルテミス神殿がはじめに創建された紀元前7世紀当時、エフェソスは女神アルテミス崇拝の中心的都市として知られていました。エフェソスの語源のもとの意味は「アパサス=地母神の王国」であり、この象徴として女神アルテミスの振興につながっていったもの、と解釈されています。紀元前356年には、多神教ともいえるアルテミス崇拝の象徴ともいえるアルテミス神殿に放火することで、後世に名を残そうとした人物も出てくるくらいに、神殿の存在は広く知られていました。当時の人々は、「後世に名を残したい」という犯人の意思を達成させまいとして、あらゆる文書や記録からその名を削除する活動をおこないましたが、残念ながら現代には犯人の名が伝えられてしまっています(ヘロストラスという、羊飼いの若者であったそうです)。放火により焼失した神殿は、その後比較的早期に再建され、紀元前2世紀になってローマ帝国の支配下となってからも、信仰の象徴としての地位を存続していました。

 

キリスト教布教の拠点

「紀元前」とは、いわゆる西暦が始まる以前の時代と、西暦後の時代を区別するために用いられていますが、そもそも西暦は、キリスト教を開いたイエス・キリストが生まれたとされる年の翌年から始まっています。西暦を最初に提唱したのは、6世紀のローマの神学者、ディオニュシウス・エクシグウス氏であった、とされています。エフェソスは、アルテミス神殿に象徴される多神教信仰の歴史とともに、キリスト教創世記、西暦の開始初期のころに、地中海地域におけるキリスト教布教の拠点となった場所として、キリスト教関連のエピソードも数多く残している場所です。

 

キリスト教にまつわるエピソード

記録に残っている布教活動として、聖パウロが西暦65年から68年までの3年間、エフェソスを拠点に布教活動をおこなっていたことが知られています。また、イエス・キリストの母である聖母マリアがこの地に住んで、最終的にはここで亡くなった、とされています。このようにエフェソスとアルテミス神殿は、キリスト教最初期の重要拠点でもあったのです。

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カテゴリ: その他

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