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失われた遺跡~エフェソスのアルテミス神殿が残っていない理由

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世界の七不思議のひとつに数えられているエフェソスのアルテミス神殿は、かつてエフェソスの地(現在のトルコのイズミル県セルチュク近辺)にあった、アルテミスという女神を祀っている神殿なのですが、現在の姿は、荒涼とした草原の中に、完全に廃墟と化したかつての神殿の残骸と、後年になって積み重ねたと思われる、柱のあとのようなものが無造作に転がっている、といった景観を見せています。アルテミス神殿は、実に三度再建された、といわれていますが、二度の消失は、ともに人為的な原因であった、と伝えられています。

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日本にも存在している紀元前の神殿

大昔の神殿という意味では、日本でも紀元前まで歴史をさかのぼることができるような神社・仏閣が存在していますが、ものによっては当時の姿をしのばせる姿を残しているような場合もあります。何千年もの期間、当時の姿が伝承される例はそれほど多くはないものの、日本にも存在しています(日本の場合には「神殿」ではなく、「神社」という呼び名で浸透しています)。例えば、和歌山県田辺市に現存している熊野本宮大社は、創建約2050年、最初に建立されたのは紀元前4~2世紀である、といわれています。日本の有名な歴史書として伝承されている日本書紀や古事記に登場する崇神天皇(すじんてんのう)によって創建されたと伝えられていますが、明治時代になっておこなわれた人社仏閣の精査の際に、国幣中社(当時定義された神社を等級化した分類のひとつ)と定義されて、現在に至っています。熊野本宮大社の例では、明治時代の天災(洪水)が記録に残っていますが、京都の金閣寺などは、昭和に入ってからの人災(放火)の記録が残っています(1200年頃建立、1950年の放火による焼失を経て、1955年に再建されています)。

 

人為放火に見舞われたアルテミス神殿

このように、経年劣化以外にも、天災や人災を原因として、その後再建されたり、重要文化財として保護されるようになったりする例もありますが、何らかのアクシデントの後再建されず、当時の姿が残っていないような例も存在しています。アルテミス神殿も然りで、現在の変わり果てた姿に至るまでには、人為的な災害=放火があった、といわれています。

 

2度の破壊を経たアルテミス神殿

エフェソスのアルテミス神殿は、紀元前7世紀頃から紀元3世紀頃にかけて存在していた、といわれています。当時は総大理石の荘厳な建造物として、世界の七不思議のひとつにも数えられていたのですが、記録によると2回に渡って人為的な被害を受けています。1回目は、紀元前700~500年頃に、キンメリア人によって破壊されています。2回目は、紀元前356年頃で、このときは放火によって焼失した、と伝えられています。

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カテゴリ: その他

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