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バビロンの空中庭園…巨大な緑のオアシスを作る水供給方法とは?

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古代ヘレニズム時代(紀元前330年頃~紀元前30年頃)にあったとされる国、ビザンチウム出身の数学者であるフィロンという人物が提唱した「世界の七不思議」は、フィロンが見聞可能な中東や地中海周辺の、当時としては斬新な技術や大きさ、規模を誇る建造物が選ばれています。その中のひとつ、当時栄えていた都市であるバビロン(現在のイラクのバグダッド付近)にあったとされる、バビロンの空中庭園は、その規模や荘厳さに加えて、水の供給方法に特徴があった、とされています。

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バビロンの発掘は1899年頃からおこなわれている

バビロン地区の本格的な遺跡発掘は、ドイツ人の学者であるベルト・コルデヴォイ氏を中心とした学科チームが、1899年~1917年頃までおこなった調査が最初である、とされています。以来、バビロンのものとされる遺跡の発掘調査は継続されていますが、未だ全貌の解明には至っていません。バビロンにまつわるイメージとして、「バビロン捕囚」というキーワードがあります。これは、紀元前597年・586年・582年の3度に渡って、バビロンがユダヤ王国に侵攻し、4万人以上のユダヤ人を捕虜にしたことを指していて、聖書にも関連する記載が残されています。バビロンについては、実はこういった負のイメージも存在しています。

 

空中庭園と水の供給のしくみ

バビロンの空中庭園は、5層に重ねられたバルコニーに、植物が段々に植えられ、遠めには空中から庭園がつるされているように見えることから、空中庭園と名づけられたようで、その規模、荘厳さとも、当時の建造物としては驚嘆に値するものだったようです。さらに、緑が少ない砂漠地帯に、巨大な緑のオアシスを作ったこと、またその施設を維持するための「高い場所への水の供給の仕組み」を作ったこと(当時は当然ポンプなどを使った水の自動くみ上げのしくみはありませんでした)が、七不思議に抜擢された大きな要因なのではないか、と考えられます。

 

シュロの木を活用した水の共有を実現していた?

現在は空中庭園の建造物自体は残っていないため、水の共有の仕組みは、フィロンらの記録などからの推測となりますが、どうやらシュロの木を梁(りょう=階層化されたバルコニーを支えるための材木)として使うことで、バルコニーに植えた植物の根を意図的にうまく張り巡らすことに成功しているようで、天然の水吸い上げ・共有ポンプを実現できていたようです。さらに当時としてはかなり斬新なしくみ=ポンプの原型も、組み入れられていたようです。

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カテゴリ: その他

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