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7.政治的要因?オリンピアのゼウス像が移動された理由

オリンピアのゼウス像

 

紀元前5世紀~紀元前4世紀頃に、古代ギリシャはオリンピアで制作されたといわれているオリンピアのゼウス像ですが、像の完成からおよそ800年を経て西暦に入ってから、もともと像が存在したオリンポスから、移動当時の首都であるビザンチウムに移動された、という記録が残っています。
オリンピアのゼウス像という名称には、地名である「オリンピア」が入っていたにもかかわらず、なぜビザンチウムに移動されたのでしょうか。

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遷都が直接のきっかけ

オリンピアのゼウス像の移動の直接のきっかけは、当時の超大国であったローマ帝国の遷都や、その後発展したビザンツ帝国(別名東ローマ帝国、西暦395年頃に、それまで存在していたローマ帝国が分裂したことによって建国され、800年頃にはバルカン半島、アナトリア半島地域を中心に、現在のトルコのイスタンブールを首都として栄えていた、とのことです)の建国が関連している、といわれています。
ローマ帝国の遷都は、西暦313年、分裂前におこなわれています。
コンスタンティヌス1世により、ローマからコンスタンティノポリス(ビザンチウムとも呼ばれています)に遷都しています。

 

 

392年にはキリスト教が国教とされる

また、分裂直前の392年には、それまでの多神教(ギリシャ神話に描かれている世界。オリンピアのゼウス像でもモチーフにされているゼウス神が最高位とされています)から、キリスト教に国教が変わっています。

 
そして、394年に、オリンピアのゼウス像の移動がなされています。
その後の像の行方は明らかにされておらず、現在残っていないことから、移動後に焼失または破壊されてしまったもの、と考えられています。

 

 

キリスト教とギリシャ神話

このように、ローマ帝国の国としての変換や、国教の変化、遷都などがおこなわれた時期に、オリンピアのゼウス像の移動もなされていたことがわかります。
このことから、オリンピアのゼウス像の移動は、多分に政治的な要素もあったのではないか、と考えられます。

 
当時の権力者が、それまで民衆の信仰を集めていたオリンピアのゼウス像を象徴的に扱うことで、人々の支配をより効率的に進めようとしていたのではないか、と考えられます。
当時ビザンチウムの有識者のひとりでもあったフィロンなる人物が、ビザンチウムを中心とした支配下の地域から「世界の七不思議」を選択し、その中にオリンピアのゼウス像を入れたことの意図も、像を移動させたことと本質的にはつながるのではないか、と思われます。

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カテゴリ: その他

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