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4.オリンピアのゼウス像の作者フェイディアス(後編)

オリンピアのゼウス像

 

世界の七不思議のひとつ、オリンピアのゼウス像は、座像ながら高さ12メートルという巨大な大きさであった、とされています(現在はその姿は残っていません)。

 
オリンピアのゼウス像の制作者については諸説あるものの、当時の古代ギリシャで高名な彫刻家であったフェイディアスという人物であった、という説が定説になっています。
彼は、古代ギリシャにおける最大のポリス(現代でいうところの都市)である、アテナイのアクロポリス復興の中心人物であり、有名なパルテノン神殿の建設のキーマンであった、といわれています。

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パルテノン神殿はアテーナーの象徴

オリンピアのゼウス像は、紀元前5世紀頃に作られた、という説が有力なのですが、パルテノン神殿もほぼ同時期である、紀元前447年に建設に着手された、といわれています。

 
ギリシャ神話の登場人物である女神アテーナーを祭る神殿として建設され、紀元前438年に竣工した、との記録が残っています。
パルテノン神殿の周辺や神殿内には、フェイディアスの手によると考えられている数々の傑作が存在していました。
アテナ・プロマコス像やアテナ・レムニア像、アテナ・パルテノス像などが知られていますが、オリンピアのゼウス像も、こういった傑作のひとつとして、必ず名前があがる作品です。

 

 

アンティオキアのアレクサンドロスなどと並び称される人物

古代ギリシャの高名な彫刻家として、フェイディアスのほかに、ミロのヴィーナスの作者として知られるアンティオキアのアレクサンドロスや、ペリクレス像を制作したクレシラス、クニドスのアプロディーテーで知られるプラクシテレスなど、非常に優れたアーティストが多数存在していました。

 
フェイディアスは、これらの高名な彫刻家と並び称されるような彫刻家であり、当時のギリシャ世界では名だたる存在であった、と考えられています。
しかしその最期は、後世に名を残す輝かしいアーティストとして、必ずしもふさわしいものではなかった、といわれています。

 

 

着服の罪で投獄された?

フェイディアスの最期は正確にはわかっていませんが、一説によると「アテナイでアテナ・パルテノス制作時に、材料を着服した罪で投獄され、そのまま獄死した」といわれています。
また別の説では、「アテナイで投獄され、その後オリンピアに移管されてオリンピアのゼウス像を制作し、その後十数年経過した後にオリンピアで死んだ」、とも伝えられています。

 
また彼は、「黄金比を初めて取り扱った人物」としても、その名を残しています(黄金比とは、線分を1点で分けた場合に、長い部分と短い部分との比と、全体と長い部分との比が、等しくなるような比率をいいます。
計算上1対1.618であり、人間がもっとも安定感を感じる美しい比率とされ、以後美術作品に多く取り入れられています)。

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カテゴリ: その他

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