> >

3.オリンピアのゼウス像の作者フェイディアス(前編)

オリンピアのゼウス像

 

紀元前2世紀に、ビザンチウムのフィロンによって提唱された「世界の七不思議」のひとつに数えられているオリンピアのゼウス像は、現在は像自体が残っていないにもかかわらず、その姿については、想像画やイメージ図などが広く浸透しており、世界的にも知られる存在となっています。
このイメージを作ったアーティストは、ギリシャの古代都市アテネに生きた、フェイディアスという彫刻家であったそうです。

スポンサードリンク

 

 

紀元前490年頃に生まれる

フェイディアス(「ペイディアス」と発音されることもあります)は、紀元前490年頃に生まれ、紀元前430年頃まで活躍していた、といわれています。
彼は古代ギリシャの中心都市であるアテナイ(現在のギリシャでは、「アテネ」として知られていますが、その昔は「アテナイ」と表現されていました。

 
約3400年の歴史がある古代都市です)出身で、当地で力を持つ政治家であったペリクレスと親交があったことから、紀元前477年頃にアクロポリス復興プロジェクトの顧問となり、アテナイにおける代表的、かつ象徴的な建造物である、パルテノン神殿建設の総監督を務めていた、と伝えられています。

 

 

アクロポリス復興プロジェクト

古代ギリシャにおける都市は「ポリス」とよばれ、アクロポリスは「ポリス」を象徴するような小高い丘などを指して呼ばれていました。
アテナイのアクロポリスは、フェイディアスがアテナイの復興プロジェクトの顧問に就任した当時、先に行われたペルシア戦争の影響で、ほぼ焼失していたそうです(もとは木造建築であったため、木造部分が焼けてしまっていた、とのことです)。

 
アクロポリスを石造建築に作り替えて再建した結果、現代にも遺跡として残るほどの輝かしく立派なアクロポリスとなりました。
これがアクロポリス復興プロジェクトであり、フェイディアスはこのプロジェクトの、いわば美術監督であった、と考えられます。

 

 

一説によると異説も存在する

ただし、「フェイディアスがオリンピアのゼウス像建造を含む、アクロポリス復興プロジェクトの総監督であった」という説には異説もあります。

 
このプロジェクトは、国を挙げての公的なプロジェクトでもあったため、他の官僚職と同様に、1年程度で総監督が入れ替わっていた、との記録も残っており、フェイディアスが美術面で大きな影響力を持っていたという確固たる根拠としては、検証の余地がある、とのことです。
とはいえフェイディアスがオリンピアのゼウス像建設のキーマンであったことは、間違いなさそうです。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

カテゴリ: その他

Comments are closed.