> >

王の墓ではなかった?!ギザの大ピラミッド、王墓説の根拠

王家の谷
 
1972年、ユネスコ総会で採択された世界遺産条約(世界中に存在する文化遺産や自然遺産の保護をおこなうための条約)をベースに、世界各地にある「人類が共有すべき遺跡や自然、景観」などが、世界遺産として登録されています。基本的には不動産=移動が不可能な存在に対して、登録がなされています。1,000件以上存在する世界遺産の中でも代表的なもののひとつに、カンボジアのアンコールワットやインドのタージ・マハル、イングランドのストーンヘンジなどと並んで、エジプトのギザの大ピラミッドをあげることができます。

スポンサードリンク


 

王墓説の根拠は石棺が見つかったこと

1979年に「メンフィスとその墓地遺跡」として、ギザ周辺の南北サッカラやダハシュールなどにあるピラミッドと共に、世界遺産登録がなされたギザの大ピラミッドですが、その目的は現在もはっきりわかっていません。820年頃に、イスラムの指導者であったアル・マムーンという人物が、ピラミッド内の財宝や、当時内部に存在しているとされていた天体図(ピラミッドの建設目的の諸説の中には「天文台説」があり、そのため内部にも何らかの資料がある、と考えられていました)を入手するために、大ピラミッドに穴を開けて内部への侵入を試みました。その結果としてミイラを安置するための石棺を発見したことから、「ピラミッドは王の墓だった」という説が広まりました。

 

王墓説誕生後に部屋の名が名づけられた

9世紀にアル・マムーンが提唱した説により、その後ピラミッド内部のさまざまな部屋にも、王の墓の周辺の部屋との前提で、「女王の間」や「大回廊」といった名前が付けられました。しかし、当時発見された石棺にはミイラなどの遺体の痕跡は残っておらず、王の墓とするには根拠が乏しいものでした。今では、天文台説や方角を示すための施設説、宇宙人の目印説など、さまざまな説が唱えられています。

 

紀元前5世紀頃からあった王墓説

紀元前5世紀頃に活躍した、古代ギリシャの歴史家であるヘロドトスが、既に「ピラミッドは王の墓ではないか」と(『歴史』という著書の中で)言及していることがわかっています。ピラミッド時代の後に訪れた「岩窟墓時代(学術的には古代エジプト新王国時代といわれていて、王の墓が集中している場所は「王家の谷」という総称で呼ばれています)」には、実際にミイラや装飾品などが見つかっており、その前の時代であるピラミッド時代の王の墓の形態が、ピラミッドであったとしても不思議はないのですが、未だに「これで間違いない」といえる確証は見つかっていないのです。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

カテゴリ: その他

Comments are closed.