ギザの大ピラミッドは唯一現存する「世界の七不思議」
「世界の七不思議」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。現代において、日常会話の中でも「○○の七不思議」といった表現をよく耳にしますが、この言葉のルーツは、紀元前にまでさかのぼります。最初にこのキーワードを使用したのは、古代ギリシャ、古代ローマ時代の、数学者にして旅行家でもあった、ビザンチウムのフィロンとされていますが、当時フィロンが提案した七不思議のうち、現在も当時の姿を残す唯一の建造物が、エジプトにあるギザの大ピラミッドです。
古代ギリシャ人の都市ビザンチウムで提案された
フィロンがいたとされるビザンチウムとは、別名ビュザンティオンとも呼ばれる、古代ギリシャ人が作った都市の名称です。当時から多民族国家として栄えていたバルカン半島に位置し(現在のトルコ領イスタンブール)、紀元前600年代に建設された、といわれています。この地に生きたフィロンが、『世界の七つの景観』という著書の中で、当時地中海周辺に存在していた七つの巨大な建造物を、「世界の七不思議」として提案しました。ギザの大ピラミッド、バビロンの空中庭園、エフェソスのアルテミス神殿、オリンピアのゼウス像、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟、ロドス島の巨像、アレクサンドリアの大灯台が該当します。
七不思議の内容は変化していった
フィロンが著した『世界の七つの景観』には当初、アレクサンドリアの大灯台は含まれておらず、代わりにバビロンの城壁が入っていました。この理由は、フィロンが、自分の国にある巨大建造物は入れない、としていたためであったそうなのですが、その後、バビロンの空中庭園とバビロンの城壁が同一視されていったため、後年になってアレクサンドリアの大灯台を七不思議のひとつとして組み入れた、とされています。その後もさまざまな学者や詩人などが、独自に七不思議を提案してきましたが、結局フィロンの七不思議は、現代まで語り継がれ続けています。しかし現代はそのほとんどが地震や破壊などで消滅してしまい、ほぼ原型が残っていません。その中で唯一残っているのが、ギザの大ピラミッドなのです。
エジプトの三大ピラミッドのひとつ
ギザの大ピラミッドは、エジプトにあるギザの砂漠に現在も残されているピラミッドのひとつで、周辺にある3基の巨大ピラミッドのなかでも最大のものです。ギザの大ピラミッドは、その大きさばかりでなく、構造や建造方法においても、今なお七不思議としての存在感を放っています。