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古代都市チチェン・イッツァ…マヤ文明最大級の遺跡

メキシコピラミッド
 
ユカタン半島にかつて存在したとされている文明の中でも、その高度な科学技術や神秘性などから、長い間多くの人々の関心を集め続けている文明のひとつが、マヤ文明です。16世紀頃に滅亡したとされて以降、本格的な研究が開始されたのは比較的近年(20世紀に入ってから、といっても過言ではありません)であり、まだまだ解明されていないようなところもたくさん残っています。マヤ文明研究は、ユカタン半島各地にある遺跡を中心におこなわれていますが、その中でも最大級の遺跡が、チチェン・イッツァです。

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メキシコのユカタン州に位置する

チチェン・イッツァは、メキシコのユカタン州にあり、ユカタン半島の北部にあたる位置に存在しています。ユカタン州の州都はメリダという都市なのですが、チチェン・イッツァは、メリダから東に約120キロメートルのところに位置します。マヤ文明の歴史は長く、紀元前3000年頃から16世紀頃まで繁栄していたとされていますが、チチェン・イッツァは、マヤ文明がもっとも栄えていた時代のひとつとして分類されている「後古典期マヤ(古典期末の9世紀頃~後古典期前半の13世紀頃までの間が該当します)」の遺跡とされていて、その広さは南北に3キロメートル、東西が1.5キロメートルにおよぶという、広大なものです。チチェン・イッツァという名称の語源は、古代マヤ語で「イッツァ族の泉の入り口」といいますから、大河のないマヤ文明にとって、当時この遺跡がいかに重要な物であったかを物語っています。

 

ククルカンの神殿

チチェン・イッツァの象徴的な建造物として、カスティーヨと呼ばれるピラミッドがあります。これは、マヤ文明における最高神であるククルカンを祀ったものと考えられていて(そのため別名「ククルカンの神殿」とも呼ばれています)、宗教儀式をおこなうためのスペースや、マヤ文明で非常に発達していたとされている天文学に関する施設(天文台とされています)などが設置されています。その他球戯場や、周辺の石灰岩質の洞穴に地下水が溜まる形でできたセノーテなどが作られています。セノーテは、ククルカンの神殿とあわせて、宗教儀式としての「雨乞いの儀式」などがおこなわれていたようで、雨が降らない時には、神の啓示を受けるために、「泉にいけにえを捧げる」といったことがおこなわれていたことが、記録や調査から判明しています。

 

世界遺産に登録されたチチェン・イッツァ

マヤ文明研究が進むにつれて、近年チチェン・イッツァの歴史的価値も見直され、1988年には「消滅した文明の、唯一または稀な証拠となりえるもの」として認められ、世界遺産登録がなされています。

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カテゴリ: その他

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