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聖なる泉セノーテの存在…マヤ文明滅亡の秘密に迫る!

与那国島 海底遺跡
 
紀元前3000年頃から16世紀頃まで存続していたといわれている中米のマヤ文明は、16世紀に初めてヨーロッパ人が足を踏み入れて以降、急速に滅亡への道を辿ったと見られ、現在もマヤ文明滅亡の真相は明らかにされていません。しかし、滅亡直前には、マヤ文明で特に水を信仰する風潮が広まっていたことが、これまでの研究でわかっています。そのキーワードとなるセノーテの泉について、考察していきます。

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聖なる泉セノーテの存在

ユカタン半島のメキシコ周辺には、マヤ文明を含む複数の文明があった、とされています(これらはメソアメリカと呼ばれています)。アステカやインカなどが該当していて、先住民による伝承が、その存在を裏付けています。マヤ文明末期の頃、当地で農民たちを中心に、雨乞いの儀式が盛んにおこなわれていたことが、石碑や土器に残された記録などから判明していますが、その中に、聖なる泉セノーテに関する記載があります。

 

鍾乳洞の水没が確認されている

セノーテの泉は、ユカタン半島の石灰岩地帯にできた陥没穴に、地下水がたまるような形で形成されています。その透明度は100メートルに至る(澄んだ塩水の10倍程度とのことです)ような泉もあり、青く澄んだ水は、見るものを神秘の世界にいざないます。このあたりが「聖なる泉」といわれる所以でもありますが、この泉には、鍾乳洞を含む洞窟が水没していることが確認されています。通常鍾乳洞は、水中では決して形成されない、といわれているのですが、鍾乳洞の存在は、マヤ文明滅亡となんらかの関連性があるとして、近年専門家達の研究の対象となってきました。「セノーテ」という言葉の語源は、マヤ語の「ゾノト」といわれていて、世界の4大文明のような大河を近隣に持たないマヤ文明にとっては、まさに「命の泉」ともいえる存在でした。

 

いくつも存在するセノーテ

セノーテは、ユカタン半島のいたるところに存在し、マヤンブルーやリトルマヤ、ナホチナチチ、アスール、タージマハなどが知られています。中でもサック=アクツン・システムは、全長152.975キロメートルという巨大なもので、世界最大級の水中鍾乳洞としても知られています。これらのセノーテからは、メソアメリカ各地の遺跡で発掘されている、宗教儀式に使われたと思しきさまざまな物品も見つかっており、雨乞いの儀式がおこなわれたり、信仰の対象となっていたり、といった形で、当時の人々の心のよりどころとしての位置付けが大きかったのではないか、と考えられています。

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カテゴリ: その他

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