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古代マヤ文明が突如滅亡した理由~有力視される3つの説とは


 
アメリカ中央部からメキシコ周辺に、紀元前3000年頃の発祥から16世紀頃まで、実質2000年ほどの長い期間栄えたマヤ文明は、残された石碑や土器から、およそ1200年前に突如崩壊・滅亡してしまったことがわかっています。滅亡直前には、水に関する信仰が広まっていた、とされているのですが、文明の崩壊は、ごく短期間に起こっています。マヤ文明は、どのような理由で、滅亡してしまったのでしょうか。

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1.干ばつ説

マヤ文明滅亡の理由については諸説あり、もっとも浸透しているのが「干ばつ説」です。この説は、1960年代に、銀行経営者であったアメリカのディック・ギル氏によって唱えられた説で、その根拠として、過去の気象記録から判明した事実に着目しています。その事実とは、マヤ文明が滅ぶ直前の20世紀初頭に、メキシコ周辺で3年間に渡るきわめて深刻な干ばつ(一説によると100年続いた、ともいわれています)が起きていた、ということです。ディック・ギル氏は、テキサスでリアルタイムに干ばつの恐ろしさを体感しており、干ばつが大規模に起こった場合には、文明が丸ごと消滅するような事態も起こるのではないか、と考えました。彼はさらに、同時代にスウェーデンで異常な寒さを記録したことをつきとめ、結果的にマヤ文明が栄えたユカタン半島の湖の泥の調査によって、中米の干ばつと、スウェーデンの異常な寒さとの因果関係を証明して見せたのです。長く繁栄を誇った文明も、自然の猛威には勝てなかった、というところでしょうか。

 

2.外的人的要因影響説

もうひとつ、よく聞かれる説として、「外的人的要因影響説」があります。こちらは記録から、16世紀には、初めてユカタン半島にヨーロッパ人が足を踏み入れたことがわかっています(スペイン人コンキスタドールのフランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバ氏が発見者である、とされています)。記録には、ユカタン半島発見時の、マヤ人たちの激しい抵抗も残されています。滅亡に直結するような細部の記載はないものの、外敵人的な環境変化、つまり異民族の混入によって、マヤ文明を含むメソアメリカの原住民の文明が滅亡したのではないか、という説なのですが、この説も十分ありえる、といえそうです。

 

3.病気蔓延説

その他、大規模な都市消滅に直結する人口激減の一般的な理由として、伝染病などの「病気蔓延説」も語られていましたが、明確な根拠はなく、あまり支持されていない、とのことです。また、都市が多数建設されていたため、「都市間の戦争による自滅説」や、「交易関連(経済的な飽和)に起因しての滅亡説」なども存在していますが、今のところその浸透度合いから、「干ばつ説=異常気象説」が有力である、といえそうです。

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カテゴリ: その他

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