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ラテン・アメリカの神秘!マヤ文明の誕生とその歴史

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中央アメリカ南部で発見され、20世紀以降に本格的な調査が開始されたというマヤ文明は、他の世界の文明との比較において、非常に特殊な環境条件から誕生した文明として知られています。大河のない地域であるばかりか、熱帯ジャングル地帯という、文明の栄えにくい場所で栄えたことや、ある時期に突然その姿が消えうせたことなど、今も解明されていない謎をたくさん残しています。謎と神秘のマヤ文明は、いつごろ誕生したのでしょうか。

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マヤ文明の誕生

マヤ文明の歴史は古く、これまでの調査から、紀元前3000年頃から存在していたとされています。時代分類として、時系列順に先古典期と古典期、後古典期の3つに分けて考えられていますが、それぞれの時代の中でも、文化的特徴において、いくつかの時代小分類(前期、中期、後期等)に分けられています。その栄華は16世紀頃まで続いていたようなのですが、1517年にスペイン人コンキスタドール(征服者、探検者の意味)であるフランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバ氏によって発見された時点では、既にかなり衰退していた、といわれています。

 

各時代で都市が建設されてたマヤ文明

長い期間を細かく分けて考えられている大きな理由のひとつに、中心となる都市の違いや、都市別に見られる建造物の違いをあげることができます。日本でも京都や奈良、江戸など、長い期間のなかで遷都がおこなわれましたが、マヤ文明でも同様に、さまざまな理由で中心都市が移り変わっており、それぞれの時代別に、特徴的な文化が展開されています。これらの都市の痕跡から、マヤ文明は必ずしも統一国家ではなく、各地の独立した都市国家が、争ったり連携したりして、競合していたことがわかっています。調査によると、9世紀以降は各都市国家が衰退していく兆候が見られ、最終的に16世紀には、マヤ地域全土がスペインに征服されるに至りました。

 

古代マヤ文明の最盛期

マヤ文明の長い歴史の中でも、西暦250~650年頃、学術的な分類における「古典期前期」の時期が、マヤ文明が最も栄えた時代である、とされています。この時代には、ティカルやカラクムルといった大都市国家が建設され、その王は「優越王」と呼ばれて周辺の群小都市国家を従える、といった、日本でいうところの戦国時代のような様相を呈していた、とされています。この時代の記録としては、石碑(stelaeと呼ばれるもので、マヤ文明は金属を持たず、統一時代見解として、新石器時代に分類されています。)が多く残されていて、これらから当時の状況を推測することができているのです。

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カテゴリ: その他

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