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今なお解明されていないマヤ文明の謎、その特異性とは?

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科学や文化が発達した現代社会は、突然出来上がったものではなく、太古の昔の生命誕生から、人類の誕生を経て、古代の人々によるさまざまな国や文明や栄華盛衰、積み重ねの先の結果として、築かれてきたものです。歴史の教科書などに出てくる古代の文明といえば、世界4大文明が知られていますが、その他にも、今もその全貌が解明されていないような古代文明が存在しています。そんな古代文明のひとつに、マヤ文明があります。

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マヤ文明が栄えた時期

マヤ文明は、現在の中米地域(メキシコ南東部やグアテマラ、ベリーズ、ホンジュラスなどが該当します)で、長い期間栄えていた文明社会として知られ、その歴史は紀元前1800年頃から、16世紀頃にまで渡っています。後年発見された遺跡などの文化的特徴から、マヤ文明の時代分類として、先古典期(紀元前1800~紀元後250年)、古典期(250~900または1000年頃)、後古典期(900または1000~16世紀前半頃)に分けられています。

 

世界4大文明とマヤ文明の違い

マヤ文明のユニーク性は、なんといってもその立地にあります。世界4大文明とは、具体的にはメソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明が該当しますが、これらの文明には大河が近くにあった、という共通点がありました(メソポタミア文明にはチグリス・ユーフラテス川、エジプト文明にはナイル川、インダス文明にはインダス川、黄河文明には黄河・長江という大河が近隣に存在しています)。しかし、マヤ文明が存在した地域には、今も昔もそれほど大きな河は存在していません。

 

研究着手は20世紀になってから

また、謎が多い理由は他にもあります。マヤ文明が存在した中米のユカタン半島は、1517年頃にスペイン人コンキスタドールのフランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバ氏によって発見され、後にスペインに征服されたのですが、当時栄えていたマヤ文明の痕跡の研究が、本格的におこなわれるようになったのは20世紀にはいってからであり、前述の「近隣に大河が存在しない文明であること」に加えて、まだまだ解明されていない謎が多く残されています。例えば、文明の進化の過程として、一般的には「石器から金属器への移行」があると考えられていますが、マヤ文明は金属器を持っていないにもかかわらず、他の大きな文明以上に、天文学が発達していた、とのことです。今後の研究の中での「マヤ文明の謎の完全解明」が、待たれるところです。

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カテゴリ: その他

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