病死?それとも暗殺?ツタンカーメン王の死因の有力説とは
エジプトはルクソールにある、古代エジプトの王達が多数葬られている王家の谷のなかでも、もっとも有名な墓のひとつが、紀元前14世紀頃の、古代エジプト第18王朝の王、ツタンカーメン王の墓です。他の墓とは違って、ミイラや副葬品がほぼ完全な姿で見つかったことでも知られるツタンカーメン王の墓ですが、もともと多くの人々の関心を集めていた人物であったこともあり、その死因についても、さまざまな説が存在しています。
大腿骨の骨折による死
ツタンカーメン王の墓からは、多くの副葬品と共に、本人のものとされるミイラも見つかっており、現代科学による各種分析もおこなわれています(CTスキャンやDNA鑑定、放射線による調査等)。その中で判明していることとして、「大腿骨を骨折していた形跡があり、骨折から数日で死亡した可能性が高い」といわれています。このことから、何らかのアクシデントがあって骨折し、その後殺されたのではないか、という他殺説が長い間信じられてきました。しかし現在では、病死説が有力となっています。
病死説の根拠は虚弱体質
病死説の根拠としては、ツタンカーメン王が、生まれながらの虚弱体質であった可能性が高い、ということがあげられています。DNA鑑定などの調査によると、近親交配で誕生したために、多くの遺伝的かつ先天的な疾患を抱えていた可能性が高いことがわかっており(先天的な疾患の例として、背骨が変形していることや、足の指に欠損が見られること、他にも臓器にも疾患の跡が認められること等)、そのうえで前述の大腿骨の骨折、さらには脳性マラリアの合併症を発症していたと思われる証拠が多数見つかった、とのことです。このため、現在では病死説が広く浸透しています。
暗殺説
そのほかの死因説として、暗殺説も根強くつぶやかれています。暗殺説は、1960年代の頭部X線調査の結果、後頭部に骨片が認められたため、頭部の打撃による暗殺説としてあげられるようになったのですが、現在ではこの骨片は、ミイラ化するときに脳をとりだすための穴を頭蓋骨に開けたことによってできたものである、ということがわかっています。しかし、虚弱体質であったこと、それにもかかわらずわずか9歳にして王位につき、周囲の妬みを集めていたことなども推測され、直接の死因として、何者かに突き飛ばされたり、毒を盛られたりした可能性(当時は高貴な飲み物とされていたワインを保存するためのワイン壷が見つかっていることから、ワインを使って毒殺されたのではないか、と推測された)も捨てきれず、暗殺説も未だ残っているのです。