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歴史の記録にないファラオ…ツタンカーメン王の墓が発見された経緯

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古代エジプトの王である有名なツタンカーメン王の墓は、1922年に、エジプトのルクソールにある王家の谷で発見されました。王家の谷の岩窟墓は、18世紀頃から発見・調査がなされていたとのことですが、ツタンカーメン王の墓の発見までには、かなりの年月を要しています。比較的近年に発見されたツタンカーメン王の墓は、どのような経緯で発見されたのでしょうか。

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発掘権を持っていたセオドア・デーヴィス

ツタンカーメン王の墓が発見される直前まで、王家の谷の発掘権は、アメリカの資産家であるセオドア・デーヴィス氏が握っていました。彼のもとで、多くの王の墓が発見されましたが、多くは既に大昔に盗掘にあったような墓であり、新発見といえるものはほとんどありませんでした。また彼は、考古学の知識や学術的な思考などをほとんど持ち合わせていなかったために、発掘の記録や遺物の保存などもおこなわなかったといい、結果的に学術調査としては、ほとんど得るものがないかのように思われていました。

 

見つからなかったツタンカーメン王の墓

歴代の王の記録に存在していないにもかかわらず、その名前が刻印された指輪や装飾品が見つかっていたツタンカーメン王の噂(王家の谷にツタンカーメン王は墓が存在するのではないか、という噂)は、当時セオドア・デーヴィス氏も把握しており、かなり本格的にツタンカーメン王の墓を捜し求めていたようですが、結果的には見つけることができず、10年に及んだ王家の谷の調査・発掘作業をとうとうあきらめて、1914年に発掘権を手放すに至りました。

 

執念が見つけた王の墓

その後、1922年になって、本当にツタンカーメン王の墓が見つかったのですが、発見したのは、考古学者で、現場での発掘作業も熱心に続けていたハワード・カーター氏と、そのスポンサーであるカナーヴォン伯爵家の第5代当主である、ジョージ・エドワード・スタンホープ・モリニュー・ハーバート氏とされています。考古学にロマンを感じていたカナーヴォン卿と、熱心な考古学者であったカーター氏のコンビが、セオドア・デーヴィス氏が発掘権を手放した後、即座にツタンカーメン王の墓の所在の可能性を王家の谷に絞り込み、諦めることなく長い期間をかけて再調査をおこなったのです(途中第一次世界大戦で発掘調査が中断する、というアクシデントもありましたが、戦争終了後に調査を継続しています)。彼らの執念が、ツタンカーメン王の墓の発見につながった、といえます。

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カテゴリ: その他

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