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ハリー・バートン…ツタンカーメン王の発掘現場を写した唯一の写真家

ツタンカーメン
 
エジプトはルクソール(古代エジプトではテーベという地名で呼ばれていました)にある王家の谷(英語ではKings Valley)は、古代エジプトの王達が葬られている場所として知られており、大規模な墓地であることから、死の谷(Death Valley)とも呼ばれています。発掘調査の歴史は長く、1800年代から進められていたのですが、調査報告や発掘された物品の写真、数々の記録のなかで、常に名前があがっている人物がいます。ハリー・バートン氏です。

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写真家、技師の肩書きを持つハリー・バートン氏

王家の谷は、1800年代から長い期間発掘調査が進められていますが、20世紀初頭に、それ以前まで王家の谷の発掘権を握っていたセオドア・デービス氏という人物が発掘権を放棄し、その後は古代エジプトの謎の魅力にどっぷりはまっていたイギリス生まれのエジプト考古学者、ハワード・カーター氏(元水彩画家という風変わりな経歴を持ちます)が、イギリスの貴族であるカーナヴォン卿(8代目で、ショージ・ハーバードという本名も持ちます)をスポンサーに、王家の谷の発掘調査を継続していきます。そして、王家の谷の最大の発見といわれているツタンカーメン王の墓の発見がなされるのですが、その際に発掘された物品や発掘の様子を記録に収めていたのが、ハリー・バートン氏です。

前述のハワード・カーター氏とカーナヴォン卿の発掘調査において、彼は記録写真を独占的に撮っていたようなのですが、ハリー・バートン氏の肩書きは、写真家、メトロポリタン美術館の技師等、諸説存在しています。

 

呪いを逃れたバートン氏

ハリー・バートン氏はイギリスで1879年に生まれ、ツタンカーメン発見後も60歳まで生きています(ツタンカーメン発掘については、怪死を遂げた関係者がいたり、不思議な偶然が重なったりしたことから、「ツタンカーメンの呪い」という通説が存在しているのですが、ハリー・バートン氏はその呪いを受けなかったようで、1940年にエジプトで亡くなっています)。

 

発掘現場を伝えた唯一の写真家

現在日本において入手できる王家の谷やツタンカーメン王の発掘において、記録や学術報告はともかく、特に写真においては、ハリー・バートン氏が撮影した写真のみが現存し、実物も既に盗掘されたりして無くなってしまっているような貴重なものも多数あります。なぜ彼にのみ独占的に撮影が許されていたのか、なぜその後の調査では、彼に匹敵するような写真家が登場していないのかなど、20世紀初頭の王家の谷の調査におけるミステリーはつきません。

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カテゴリ: その他

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