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ストーンヘンジは治癒場だった?建造目的考察・後編

ストーンヘンジ
 
世界でもっとも有名な環状列石遺跡のひとつであるストーンヘンジは、広大な草原の中にこつ然とその巨大な姿を現代に残していて、悠久の歴史を感じさせるのに十分な雰囲気をかもし出しています。ストーンヘンジが作られた目的としては諸説あるものの、その起源は紀元前3000年以上も前にさかのぼるため、確固たる物証が見つかっていないこともあり、はっきりとわかっていません。

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王家の墓説

ストーンヘンジは、実はエジプトのピラミッドや日本の古墳などと同じく、王家の墓として作られたのではないか、という説があります。古代宗教においては、自然を敬う気持ちがベースにあることが多いのですが、特殊な形に積み重ねた巨石を円状に並べているところなどは、他の場所にある王家の墓との類似点も見受けられます。このため、王家の墓説が存在しているのですが、実際にそれらしき遺体などの発見には至っていません。

 

治癒場説

それから、ストーンヘンジの主な構成要素として、サーセン・ストーン(砂岩)と並んでブルー・ストーン(玄武岩)が使われていますが、ブルー・ストーンには不思議な力があるとされていて、この不思議な力を頼って、遠くから多くの人が集まる治癒場として機能していたのではないか、という説もあります。ストーンヘンジに使われているブルー・ストーンが、特殊な細工を施されていることや、ストーンヘンジ周辺で発掘された人間の遺体に、怪我や病気の痕跡が多く見受けられたことから、治癒場説も有力説として浸透しています。実際、ストーンヘンジの一部には、人によっては平衡感覚を失うような場所が存在しているようです(女性が該当する場合が多い、とされています)。

 

ローマ支配時代の神殿説

また、ローマ支配時代の神殿ではないか、という説も存在しています。かつてイングランドはブリテン地域と呼ばれ(今もブリテンという呼び名は残っています)、1世紀から5世紀頃は、ローマ帝国の支配下にあったとされていますが、この時期にローマの神殿として作られたのではないか、という説です。ただし地中海地方に多く見られる、精巧な彫刻のようないわゆる「ローマの神殿」とは違い、巨大かつ素朴な石で構成されたストーンヘンジは、印象としては「ローマの神殿」とは似ても似つかない姿をしています。あるいはこの地方に移り住んだローマ人が、独自の形状の神殿を立てた可能性も捨て切れていません。

このように諸説あるものの、どの説も決定的な決め手はなく、目的の完全解明には至っていないのです。

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カテゴリ: その他

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