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ナスカの地上絵の謎解き、最大のヒント?アンデス文明移住説

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ペルーにあるナスカの地上絵は、その巨大さ(最大で全長200メートル以上の地上絵もあります)もさることながら、「なぜ描かれたのか?」、「誰が描いたのか?」など、解明されていない謎が多数あります。目的については、天体図説や暦説、異星人説、死者への敬意説など諸説ありますが、「謎のままであるのはなぜなのか」という点について、近年有力な説が唱えられています。

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目的は雨乞いだった!?

目的の諸説の中に、「雨乞い説」というものがあります。ナスカの地上絵が描かれているペルーのナスカ地方は、もともと降雨量がすくなく、文明が栄えたり、人が長く住み着いたり、といったことには適さない地域、とされてきました。『ペルー誌』などの古い文献(スペイン人のペドロ・シエサ・デ・レオン氏が、1550年頃に著した記録誌です)や、その後の有識者による研究によると、アンデス文明(ペルーを中心としたアンデス高地に存在していたといわれる文明。今も当時の痕跡を残すような血縁組織が機能している地域も残されているため、実在したことはほぼ間違いない、とされています)に生きた民族の大移動と雨乞い説、そしてナスカの地上絵が、関連しているのではないか、というのです。

 

プレ・インカ「ワリ文化」の存在

アンデス文明で栄えた文化に、ワリ文化というものがあります。この文化は、現在のペルーのアヤクーチョ県、それからナスカに該当する地域で広まった文化であるとされています。ワリ文化は、「プレ・インカ文化」ともいわれていて、ワリ文化をベースに、約300年後にインカ帝国ができていることから、そのようにいわれています。「雨乞い説」の根拠として、ナスカに住み着いた民衆は、もともとアンデス高地に住んでいて、異常気象がもとで民族大移動をおこなっていたのではないか、という仮説に基づき、ナスカ地方から発掘された当時の人間の遺体からDNAを採取して、紀元前840~紀元後1450年頃にアンデス高地に住んでいた人間のDNAと比較したところ、非常に類似していた、ということがあげられています。この2箇所の拠点で、大規模な民族移動があったため、DNAが類似し、また同じ文化が栄えたのではないか、という説です。

 

年月とともに記憶から失われた目的

そもそも雨が少なく、異常気象もあって、雨乞いの地上絵を作ったものの、長い年月をかけてアンデス高地との大移動を繰り返した結果、移動の途中で描いた地上絵の存在や目的が、忘れ去られてしまったのではないか?とされています。アンデス文明は「文字のない文明」でもあるため、記録が残されていない以上、今となっては真相はわからないままです。さらなる状況証拠を積み上げて、完全に謎を解明するには、まだまだ時間がかかりそうです。

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カテゴリ: その他

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