コンドルはなぜ描かれた?ナスカの地上絵が描かれた目的とは
ペルーのナスカ高原にある地上絵は、ナスカの地上絵として世界的に有名です。地上に描かれた線(厳密には「岩を取り除き、下層部分の色の違う地層を、線上に表出させたもの」です)で表現された、コンドルが羽を広げたようなモチーフを、一度はご覧になったことがあるのではないでしょうか。
最大のもので全長200メートル以上もあるという巨大絵について、拡大法や目視描画という手法を使って、「現代でも人力だけで描くことが可能である」ということがわかっています。しかし、「ナスカの地上絵が描かれた目的」については諸説あり、いまだに判明していません。
天体図説
ナスカの地上絵研究の第一人者として名高いマリア・ライヒェ女史(1903年~1998年)は、その著書『砂漠の謎(The Mystery of the Desert)』のなかで、天体図説を唱えています。ナスカの地上絵は、紀元前200年から紀元後800年頃に栄えていたとされるアンデス文明の時代に描かれた、ということが通説になっていますが、当時の人々が、太陽の暦や天体観測をおこなうために、巨大な地上絵を作成した、と説明しています。
異性人の目印説
また、「宇宙人=異星人によって作られた」、という説も根強くささやかれており、「宇宙空間における目印=道標」として、作成されたのではないか、という説も存在しています。2000年代に入って、NASAの資源探査衛星「ランドサット」によって宇宙空間から撮影された現地の画像に、全長50キロメートルという巨大な矢印(と思われるもの)があったことから、この説が語られるようになりました。しかしその後、この矢印は「近年に作られた送電線と道路が、矢印のように見えるだけではないのか」という調査結果(実際にそのように結論付けている有識者も多数存在しています)が発表され、有力説からは後退しています。
死者への敬意説
アンデス文明における風習からの推測説が、「死者への敬意説」です。世界の四大文明(メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明)とは異なり、「文字で情報を後世に伝える」という手段を持たなかったアンデス文明は、世界でも特異な風習を持っていたようです。特徴的なのが「死者の葬送方法」です。「人が死ぬと、太陽に帰る」という教えのもと、王族など地位のある人が亡くなると、今でいう気球のようなものに乗せて、空に飛ばしたようです。そして、「死者が空から地上を見たときに認識できるように、ナスカの地上絵が描かれた」、という説が考えられたのです。先ほどお話したマリア・マリア・ライヒェ女史の説にある「太陽の暦説」とも関連していて、上空にいる誰かに認識させるために、巨大絵が描かれた可能性は、確かに否定しきれないものがあります。諸説存在しますが、今となっては真相は「藪の中」、といえそうです。