バミューダトライアングル 問題提起と謎解きの歴史
1940年代に起こった航空機の失踪事件をはじめとして、航空機のみならず、船舶やその乗組員をも消滅してしまうという「魔の三角地帯」として有名なバミューダトライアングルは、今でこそ広く浸透している現象であり、キーワードですが、あらゆる事象が「始まりありき」であるように、バミューダトライアングルの謎に、いち早く着目した人物がいました。
名付け親はアメリカのライター
バミューダトライアングルというキーワードは、もともとはアメリカのライターであるヴィンセント・ガディス氏(1913年~1997年)が命名した、といわれています。氏がこのキーワードを生み出すにあたって、モチーフとして使用したのが、元英国海軍少佐のルパート・グールド氏のよる著書『夢想家は語る(1944年)』といわれています。ここでは、当時の難破船エレン・オースティン号に関する記述(乗客が消える事件が起こった、との内容)があり、これが起こった場所を三角形で結んだのが始まり、とされています。
書物により一躍有名になったバミューダトライアングル
ヴィンセント・ガディス氏が命名したバミューダトライアングル(ヴィンセント氏は「超常現象が起こるとされる領域は、正確にはトライアングル=三角形ではないため、命名を後悔している」との説もあります)は、その後アメリカの言語学者で超常現象研究家のチャールズ・バーリッツ氏(1914年~2003年、ベルリッツという発音の場合もあります)によって、世の中に広められていきます。氏はベルリッツ語学学校の創始者のマキシミリアン・ベルリッツ氏の孫としての顔も持っています。氏が著した1974年の著書『謎のバミューダ海域』は、世界20ヶ国語に翻訳され、世界的なベストセラーになりました。その結果、世間一般に「バミューダトライアングル」の概念が定着した、といわれています。
見破られた脚色
ヴィンセント・ガディス氏によって命名され、チャールズ・バーリッツ氏の著書によって世界中に広まったバミューダトライアングルですが、その謎に真っ向から挑んだのが、アメリカのアリゾナ州立大学の元図書館員であるローレンシュ・クシュ氏です。氏は、ヴィンセント・ガディス氏が、実は元のモチーフ(前述の著書『夢想家は語る』)に、かなりの脚色が加えていることを指摘しています。たとえば、前述のエレン・オースティン号について、元の著書では「乗客が消滅した事件は一度だけ」であったことに対して、ヴィンセント・ガディス氏は「二度起こった」としているところや、「乗員が消滅した船内に、たった今まで食事がされていた痕跡がそのまま残されていた」といったエピソードが、元の著書にはなかった脚色である、といった点を指摘しています。また、当時の新聞などの報道に、エレン・オースティン号の記録がまったくなかった、といったことも突き止めています。これだけで「バミューダトライアングルの謎が解明できた」とはいえないものの、かなり現代的なアプローチを試みたローレンシュ・クシュ氏は、後年のリサーチ方法にも影響を与えているのではないか、といえそうです。