> >

イースター島は閉鎖された空間だった!悲劇の歴史と人類への教訓

02.モアイ
 
謎の石造であるモアイ像が存在する島として有名なチリのイースター島は、現在人口4,000人程度の島なのですが、かつてはモアイ文明と呼ばれる文明が栄え、人口も非常に多かった、とされています。この変化には、モアイ像の存在も関連している、といわれています。イースター島は、どのような歴史を辿って現在に至っているのでしょうか。

スポンサードリンク


 

人間が住みだしたのは5世紀ごろ?

イースター島は、もとは海底火山の活動によって、島として形成された、とされています。無人島であったイースター島に人間が住みだしたのは、5世紀ごろだとされていて、最初に移り住んだのは、近隣のタヒチなどに住んでいる人々と同じく、カヌーでわたってきたポリネシア人でした。火山活動によってできたイースター島にはこれといった資源もなく、土地も痩せていたそうなのですが、移民がたどり着いた当初は緑に覆われた豊かな森を持つ島だった、とされています(現在では木もほとんど生えていない、岩や草ばかりの荒れた草原が広がっています)。

 

モアイ像を作り出す文明が繁栄

その後、サツマイモや鶏を中心とした食文化をベースに、宗教的儀式を中心とした古代文明が栄えていき、徐々に人口も増えていきます。10世紀ごろにはモアイ像も作られ始め(そのため「モアイ文明」といった呼称も存在しています)、近隣に島もない「閉鎖的であるが外からの侵入者も少ない環境」のイースター島は、繁栄の時代を迎えます。しかし、10世紀ごろには島の環境の許容量を超える人口となり、採れなくなった食物を巡って部族間抗争も活発になっていきます(「深刻な食糧不足から食人にまで及んだ」という説もあります)。この期間に、現代でいう「温暖化現象」のような「環境の変化(降水量の変化や、狭い農地の劣化)」も起こり、増えすぎた人口を支えきれなくなったモアイ文明は、ゆっくりと衰退の道を辿っていきます。

 

天然資源を使い尽くした末に衰退?

1700年代にヨーロッパ人がイースター島に初めて訪れた際(1722年の復活祭=イースターの日)には、既に先住民の文明は衰退してしまった後で、人口もピーク時と比較するとわずかなものになっていた(1800年代にはわずか100人余りにまでなりました)、とのことです。モアイ文明が衰退してしまった原因は、南太平洋の絶海の孤島という苛酷な自然環境や、人口増加後に入ってきた各種伝染病とされていますが、真相は明確に立証されていません。モアイ像の由来を含めて先住民からの伝承がほとんどないために、世界の7不思議といわれる謎が残されたまま、現在に至っているのです。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

カテゴリ: その他

Comments are closed.