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一角獣ユニコーンの性格付けとキリスト教の概念との関係

ユニコーン
 
紀元前4世紀後半頃の書物で既に記されている一角獣ユニコーンは、もとはインドに住む実在の動物のひとつとして伝えられていたのですが、想像上の動物であることが明確になるにつれて、現代にも伝わっているような性格付けがなされていきました。ユニコーンの性格付けには、キリスト教の概念が深く関わっている、といわれています。

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現在定着しているユニコーンの性格

ユニコーンは非常に獰猛な性格で、ユニコーン自身は馬やロバ程度の大きさであるにもかかわらず、ゾウのような大きな動物に対しても、ひるまず立ち向かっていく、とされています。また、馬や鹿よりも足が早く、その性格と相まって、どんな相手でもその尖った一本の角を使って倒してしまう、といいます。このため、当時の人々は生け捕りにすることも難しかった、とのことです。また、その獰猛で、人間が飼いならすことができない性格ゆえ、キリスト教の旧約聖書に出てくる「ノアの箱舟(世界が大洪水になった際に、主人公ノアとその家族、それにすべての動物のつがいを乗せた、という物語)」に乗らず(ユニコーンは自分の力を信じて、ノアに対して「自力で泳いでみせる」との意思表示をおこなったそうです)、その結果今実在する動物の中に、ユニコーンは存在していない、ともいわれています。

 

ユニコーンの認知はキリスト教の布教とともに

もともとインドで(厳密には「見間違い」または「噂話」でしたが)目撃された動物のひとつとして伝えられていたユニコーンの性格付けには、当時世界に布教されつつあったキリスト教の影響が色濃く関わっています。ユニコーンは、先ほど述べたような「高慢な性格付け」の他、「思慮深い瞳を持つ高貴な存在」としても描かれていますが、これはキリスト教の布教における、善悪両方の概念を持つ存在、いわばキリスト教の道徳的な教訓としてユニコーンが使われているのではないか、と推測できます。「ユニコーンは獰猛であるが処女には従順であり、飼いならされて眠ってしまう」との性格付けがあり、生け捕りが困難であったユニコーンの代表的な捕獲方法として伝えられていますが、キリスト教における聖母マリアの存在が色濃く反映されている例のひとつである、といえそうです。

 

道徳的な指針としてのユニコーン

こういった性格付けをあらわした書物として、ノアの箱舟の物語を掲載している聖書のみならず、中世ヨーロッパにおいて聖書と並んで人々に広く読まれていた『フィシオロゴス』という教本にも記されています。ここには救世主の象徴であると同時に、悪魔的な悪しき存在の象徴である、と記されています。ユニコーンは、キリスト教の概念の中で、現代にも通じる人間の「両義性」を伝える存在である、といえそうです。

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カテゴリ: その他

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