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龍宮城はどこにある?浦島太郎、山幸彦の物語と俵藤太の百足退治伝説

亀
 
浦島太郎が行った龍宮城、山幸彦が行ったという綿津見神(わたつみのかみ/海神)の宮、それら海神=龍神が棲むという龍宮はどこにあるのでしょうか?

中国南部の伝説では、龍宮は長江(揚子江)につながる湖南省の洞庭湖という大きな淡水湖にありました。また唐の玄宗皇帝が8世紀に四海の神を封じたという「四海龍王」は、東西南北それぞれの海の龍宮に棲んでいると言います。

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龍宮伝説が多く伝わる沖縄の海こそ、龍宮城があるのだという説もあります。しかし、『古事記』『日本書紀』や『丹後風土記』など本土に伝わる伝説の龍宮がどこにあるのかは、よくわからないのです。海神である綿津見神を祀る「綿津見神社」は日本全国にありますが、その総本社と言われる「志賀海神社」(福岡県福岡市)をはじめとして福岡県や長崎県など北部九州に多く、もしかしたらこの近くの海にあるのかも知れません。いずれにしろ海神ですから海の中と思われるのですが、実はそうではないという伝説があるのです。

 

龍宮城が登場する俵藤太の百足退治伝説

古事記、日本書紀の舞台となる神話の時代からはだいぶ時代が下るのですが、近江の国(滋賀県)に「俵藤太(藤原秀郷)の百足(むかで)退治」という伝説があります。藤原秀郷は平安時代中期の実在の人物で、東国の独立を標榜した「平将門」の「承平天慶の乱」で将門を討伐した武将です。乱後は下野・武蔵の国司で鎮守府将軍となり、源氏・平氏とならぶ武門の棟梁となりました。室町時代にはこの百足退治と平将門討伐を題材とした「俵藤太絵巻」もでき、その伝説は広く知られるようになります。

さて、この百足退治伝説には龍王や龍宮が出て来るのです。それはどんな物語なのか、簡単にご紹介しましょう。

 
ある日、俵藤太が近江の国の琵琶湖に架かる瀬田の唐橋を渡ろうとすると、橋の真ん中に巨大な大蛇(おろち)が横たわっていました。人々はそれを恐れて渡ることができませんでしたが、藤太は平然と大蛇を踏みつけて渡ってしまいます。

その夜のこと、藤太を美しい娘が訪ねて来ました。この娘は実は瀬田の唐橋に横たわっていた大蛇で、琵琶湖に棲む龍神の娘であると言います。また娘が訴えるには、琵琶湖の龍神の一族が三上山(滋賀県野州市)の大百足に苦しめられていて、弓の名人である藤太にこれを退治してほしいのだと。

 

琵琶湖の中の龍宮城

大百足は三上山を七巻き半も巻くような大きさがあり、龍でもとても手に負えないのだそうです。龍の娘の願いを引き受けた藤太が娘に招かれるままについて行くと、琵琶湖の水の上に道ができて藤太と娘はそこを進んで行きます。そしてその道の向うに龍宮城があり、藤太は龍王に迎えられたのでした。

龍宮城で歓待を受けていると、大百足がやって来たという声がします。藤太が弓矢を手に待ち構えていると、三上山の方角から火の玉が飛び交ってこちらに向かって来ます。その火の玉から大百足の目を見つけ出し、それにめがけて矢を放ちますが、はねかえってしまいました。そこで藤太は、矢の先を口に含み魔除けの唾をつけて放つと、矢は大百足の額に突き刺さり、琵琶湖の湖面を真っ赤に染めて大百足は死にました。

藤太は龍王からお礼の財宝を貰い帰りましたが、一説には平将門を倒す秘策を授けられたという話もあります。また伊勢神宮には、俵藤太が龍神から贈られたという「蜈蚣切(むかできり)」という名の太刀が所蔵されているそうです。

 
このように、この伝説では琵琶湖に龍宮があったのでした。龍の娘(乙姫?)に誘われて龍宮に行くことや、中国の洞庭湖のように大きな淡水湖である琵琶湖に龍宮があることなど、この伝説の設定は古代の龍宮伝説が下地となっているのかも知れません。

琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶじま)の「都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ/竹生神社)」には、「市寸島比売命(いちきしまひめ/弁財天)」「浅井比売命(あざいひめ)」「宇賀福神(うがふくじん)」とともに龍神が祀られています。なお宇賀福神は龍神の化身とも言われます。

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