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吸血鬼映画の元祖「ノスフェラトゥ」にはこんな由来があった

十字架 墓
 
吸血鬼伝説といえば、アイルランド生まれのドラキュラが有名で、こちらは15世紀頃のワラキア(現在のルーマニア)公ヴラド3世をモデルにした小説から起こったキャラクターですが、その後もうひとつ、ドラキュラと双璧をなしているキャラクターが誕生しています。これが「ノスフェラトゥ」です。こちらはどういった経緯で生まれたのでしょうか。

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ノスフェラトゥの誕生は1922年

「ノスフェラトゥ」は、1922年にドイツのフリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ氏によって作られた映画のキャラクターです。実はこの「ノスフェラトゥ」も、先にお話したヴラド3世をベースにしてアイルランドの作家ブラム・ストーカーによって著された恐怖小説『吸血鬼ドラキュラ』に描かれている吸血鬼伝説がベースになっていますが、映画化するにあたって、版権の関係でそのまま「ドラキュラ」とすることができず、名前を変えることになった、という経緯があります。商業的な原因が背景にあるとはいえ、こんにちの吸血鬼イメージの2大キャラクター、ドラキュラとノスフェラトゥが、同じ原作をベースに作られていたことは非常に興味深いことです。

 

ノスフェラトゥとドラキュラとの違い

結果的には、原作をベースとした映画化は、ドイツのノスフェラトゥのほうが先におこなわれ、今では「元祖吸血鬼映画」といわれています。ドラキュラとの違いは、主人公の名前がノスフェラトゥであることのほか、ドラキュラの紳士然とした風貌とは異なり、毛髪が一本もない不気味な姿だったり、ドラキュラが鋭い犬歯を持っていることに対し、どちらかというとネズミを思わせるような歯を持っているところあたりが違っています。この頃ドイツで作られた映画は、「ドイツ表現主義映画」として現在でも高く評価されていて、「ノスフェラトゥ」についても1978年にリメイクがなされ、再映画化されています。

 

ノスフェラトゥの意味

同じ原作をベースに誕生したドラキュラとノスフェラトゥですが、ルーマニアの伝承に対するアメリカ・イギリス的な解釈であるドラキュラに対して、ドイツの解釈はもう少し不気味で陰鬱なイメージを携えていて、国民性の違いも垣間見えます。また、ドラキュラが「龍の息子」という、人名に由来するものであることに対し、ノスフェラトゥのほうは言葉自体に意味を持たせています。ノスフェラトゥの語源は古代スロヴァキアの言葉ですが、ノスフェラトゥという言葉自体はギリシャ語で「病気を含んでいる」という意味合いの言葉であるそうです。これは、当時の西ヨーロッパの人たちの中で、「吸血鬼=ヴァンパイアは病気を運んでくるものである」といった伝承があったことが関係していると思われます。

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カテゴリ: その他

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