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クリーチャーは実在する?クリーチャーの存在と人間心理との関係

怖い話
 
古今東西、世界中でいわゆる「クリーチャー」が、映画や舞台、小説の世界のみならず、都市伝説や噂話の領域を入れると、人々の日常生活の中にもその存在が根付いています。子供の頃には「本当に実在しているかもしれない」と考えて、夜トイレに行けなかったり、(調査できる範囲で)書籍や情報を集めたりして、クリーチャーの存在確認でワクワクしたことが思い出されます。クリーチャーは、本当に単に想像上の存在なのでしょうか。それとも、何らかの形で実在するのでしょうか。

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クリーチャーは本当に想像上の生き物?

外国のクリーチャーの例をあげてみると、ミイラ男、狼男、想像上の生物としてのキリン、半魚人、ケンタウロスのような半獣半人、広い意味では森の妖精や宗教的な存在である天使など、さまざまな意味や形態をもって人々の間に浸透しています。確かに「想像上の生き物」ではあるのですが、これほど浸透しているということは、なんらかの理由とその裏に隠された真実が存在するのではいないでしょうか。

 

人の心理が作り出したもの

よくいわれているのが、「人間心理をデフォルメ、または具現化した存在が、クリーチャーである」という説です。たとえばミイラ男は、1932年にはアメリカで最初の映画が作られていますが、ストーリーとしてはエジプトで発見された大昔の王様のミイラが息を吹き返し、関係する人々に関わってくるというものですが、もとは1921年に発見されて世界的に話題になったツタンカーメン王の墓とそのミイラが題材になっています。事実あり気でストーリーが考案されたのですが、そこには人間の好奇心やロマンが見え隠れします。

 

好奇心やロマンを具現化したクリーチャー

そしてクリーチャーたちはたいていある「思想」を持って人間に関わってきます。ミイラ男の例では、王家の墓を暴かれたかつての王族が、怒りと呪いを持って墓を暴いた人に報復する、といったものですが、こういった因果応報的なアクションは、人間の日常生活におけるアクションそのものです。彼らクリーチャーは、ある意味「人間の心」が、そのままユニークな姿となって人々の前に現れた存在である、と考えることができます。そういった意味では彼らクリーチャーは「人間の心そのもの」であり、思想や魂の象徴である、ととらえることができます。彼らが長い間人間の好奇心やロマンの対象として長く伝えられている理由は、「(心の中を映し出す存在として)実在しているからである」、ということができそうです。

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カテゴリ: その他

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