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比良山と白鬚神社~比叡山から移った大天狗「比良山治朗坊」が棲む山

神社
 
京の都を囲んで天狗が棲んだ山は、愛宕山、鞍馬山そして比叡山。
このうち比叡山にもともといた天狗は、愛宕山の太郎坊と並ぶ大天狗でしたが、天台宗を興した最澄らの法力の強い僧が比叡山に入って来たことから、比叡山を出て京の隣、近江国(滋賀県)の琵琶湖を臨む比良山に移ったとされています。この大天狗の名前は日本の八天狗に数えられる「比良山治朗坊」。

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最澄が比叡山に入って、初めて小堂を建てたのが奈良時代末の785年。唐から帰った後に天台宗を興し、比叡山に大乗戒壇を設立して正式に僧を養成できるようになったのが、平安時代初期の822年(最澄の没年)ですから、都が奈良から京都に移った頃に比良山治朗坊は比叡山を出て、比良山に住処を移したということになります。

この比良山ですが、実際にはいくつかの1000m級の山々が連なる「比良山地」と呼ばれ、琵琶湖側から眺めると南の比叡山からつながるひと続きの山地なので、治朗坊はこの山々を伝わって移って行ったということでしょうか。

 

龍と争って負けた比良山の天狗

比良山の天狗と言えば別の記事でもご紹介しましたが、平安時代の『今昔物語』にお話が載っている、龍と争ったあの天狗がいました。簡単に書くと、天狗が讃岐からヘビを捕らえて比良山中に閉じ込めますが、このヘビは実は龍で、同じように閉じ込められた人間の僧から水をもらって龍に変身し、京の都にいた天狗と戦って勝ち、天狗をマグソタカ(小型のハヤブサの一種)に変えてしまったというお話です。

この天狗が治朗坊なのかどうかは、今昔物語のお話でははっきりとはわかりませんが、京の都で龍と争ったということなら平安時代に入ってからですから、治朗坊はもう比良山に棲んでいたということになりますね。

 

猿田彦命を祀る白鬚神社

さて、この比良山地から琵琶湖岸へと下って行くと、「白鬚神社(しらひげじんじゃ)」(滋賀県高島市)という神社があります。この神社は全国にある白鬚神社の総本社で、別名は「白鬚大明神」または「比良明神」と呼ばれます。

この白鬚神社は第11代垂仁天皇25年に創建されたと言われていますから、紀元前5年頃からあるともされるとても古い神社です。

この神社がなんといっても特徴的なのが、「猿田彦命(さるたひこのみこと)」を祭神としているということなのです。猿田彦命と言えば古事記や日本書紀に出てくる、天孫降臨神話で天皇の先祖とされる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を案内したという神様。そして猿田彦は、とても背が高く長い鼻を持った姿で、もしかしたら日本の天狗の原点なのではないかと言われる神様なのです。

白鬚神社が祀る神は、もともとは比良山の山神である「比良神」ともされ、この比良神の人格神が猿田彦命ともされますから、もしかしたら比良山の山神=猿田彦命=天狗??ということになるのかも知れません。それが正しいかどうかはわかりませんが、比良山の天狗や比良山治朗坊、そして白鬚神社の猿田彦と、この辺りはとても天狗と縁の深い場所であることは確かでなようです。

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