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鞍馬山…牛若丸に兵法を授けた天狗「魔王大僧正」が棲む不思議の山

鳥居
 
京都の山に棲む天狗と言えば、やはり鞍馬山の天狗が最もポピュラーでしょうか。
平安時代の末期、やがて平家を倒すことになる源義経がまだ牛若丸と呼ばれていた少年期、鞍馬山の天狗に兵法や剣術を教わったという話は、謡曲「鞍馬天狗」をはじめその後の多くの物語に登場します。牛若丸は父である源義朝が平治の乱で敗れて亡くなった後、11歳から15歳までの間、鞍馬寺に預けられています。この多感な少年時代に、彼は鞍馬山の天狗に出会ったのでしょうか。

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牛若丸に兵法を授けた天狗は「魔王大僧正」という名の天狗で、後に日本の八天狗に数えられた大天狗である「鞍馬山僧正坊」とは同じであるとも、また魔王大僧正の配下が鞍馬山僧正坊であるともされています。

 

京都一?不思議のパワースポット、鞍馬山

数多くのパワースポットがあるとされる京都ですが、そのなかでも霊山である鞍馬山が、もしかしたら一番のパワースポットかも知れないとも言われています。例えば、この鞍馬山とすぐ隣のこれも霊山の貴船山を含めて強い龍脈が通っており、鞍馬山から貴船山へは龍神の通り道にあたるという話もあります。実際、貴船山の神である貴船明神(高おかみの神)は水の神であり龍神であるとされ、また鞍馬山にも龍神池があり、古くから龍と関係が深い場所でした。

鞍馬山のシンボルである鞍馬寺の縁起はこんな話です。

奈良時代に艱難辛苦の末に唐から日本に渡り帰化した僧である鑑真の弟子・鑑禎(がんてい)が、ある夜に山城国(京都府)の北方に霊山があると告げられる霊夢を見ます。鑑禎がその霊山を訪ねて行くと、山の上に宝の鞍を載せた白馬が見え、そこが鞍馬山でした。
鞍馬山に入った鑑禎は女の姿をした鬼に襲われ殺されそうになりますが、そこに枯れた古木が倒れてきて鬼はつぶされ助かります。翌朝、そこには毘沙門天の木造があったことから、ここに毘沙門天を祀る鞍馬寺を建立したということです。

『日本後記』という史書にある別の伝承では、東寺造営の長官であった藤原伊勢人の夢に貴船明神(龍神)が現れ、鞍馬寺を建立するよう告げたという話もあり、後の天狗も合わせると龍、鬼、天狗という当時の三大妖怪(?)が関係する、京都いちの不思議な場所であるのかも知れません。

 

鞍馬山の天狗は毘沙門天の化身

さて、牛若丸に兵法を授けた魔王大僧正という天狗は、鞍馬寺の本尊である毘沙門天の化身であるとされています。毘沙門天は仏教における四天王に数えられ北方を守る戦いの神であり、そこから牛若丸に兵法を授けるという伝説がつながるのでしょうか。

また、この毘沙門天と千手観音とともに本尊とされる護法魔王尊の姿は、鼻が高く背中に羽があると言われ、こちらが鞍馬の天狗であるとも言われています。

また後に日本の八天狗とされた鞍馬山僧正坊は、真言宗を興した弘法大師・空海の孫弟子で奈良にあった超昇寺の座主の壱演(いちえん)が、鞍馬山に隠棲して天狗になったのではないかと伝えられています。

このように鞍馬山の天狗については伝承・伝説が入り組んでいて、なかなかわかりにくいのですが、鞍馬山が天狗の山、不思議の山であることに間違いはないのでしょう。

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