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天狗に会うなら高尾山に行こう!霊山・高尾山が信仰を集める理由

パワースポット
 
日本全国には天狗が住むと言われる山や、天狗をお祀りした寺社が各地に数多くあります。
そもそも天狗は、日本の歴史の中で仏教系の修験者や古代からの山の神などとのつながりが深く、山岳修行と縁の深い山々がその住処とされました。また天狗の存在やイメージが徐々に広がり、その力が増すにつれて天狗を祀る寺社も増えていったようです。

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今回の記事では、そんな天狗の住処や縁の深いお山、天狗をお祀りする寺社を巡って天狗に会いに行ってみたいと思います。
まずは関東編ということで、東京にある天狗の山、高尾山です。

 

高尾山は、世界一の登山者を誇る天狗のお山

東京にある最もポピュラーな山といえば、高尾山です。この高尾山は、なんと登山者数が世界一なのだそうです。
年間の登山者数は260万人を超え、世界中で一年間に登山を楽しむ人の数が約700万人と言われていますから、その37%が高尾山に登っているということになります。東京という大都市圏から約1時間で行くことができ、標高は599.15mでケーブルカーも整備されていますから、誰でも登りやすい手軽な山です。それにしても世界的に見てもこれほど多くの人々を惹きつけるのは、手軽である以上に魅力にあふれた山と言えるかも知れません。
そしてこの高尾山の魅力の大本にあるのが、実はこの山に棲むとされる天狗のチカラと言ったら言い過ぎでしょうか。

 

山岳修験の山であった高尾山

現代では一般に、高尾山は気軽に登山と自然が楽しめる行楽地として親しまれていますが、そもそもは修験道の霊山として古くから知られていました。

高尾山の中心は、真言宗智山派の大本山である「高尾山薬王院有喜寺」です。このお寺は、744年に聖武天皇の勅命によって東国鎮守の祈願寺として創建されました。開山は、奈良東大寺の大仏造立の責任者としても知られる行基。当初は薬師如来をご本尊としたため「薬王院」という名称になりましたが、現在のご本尊は南北朝の時代の1375年から「飯綱大権現(いづなだいごんげん)」がお祀りされています。

実はこの南北朝時代という時代、そして飯綱大権現という神様が、高尾山が天狗のお山になったルーツなのです。
天皇を中心とした貴族政治の世の中であった平安時代から、武家政治の世の中へと大きく変化した鎌倉時代を経て、南北朝の時代は室町時代へとつなぐ大きな動乱の時代でした。
まさにこの時代に天狗は、世の中の裏側で大きな力を発揮する妖怪として大きく成長するのです。

また飯綱大権現とは、信州の飯縄山への山岳信仰を発祥とする神仏習合の神様で、白狐の上に乗った烏天狗の姿をしています。この神様は天狗や狐を使役し、戦いの神として後の戦国時代には上杉謙信や武田信玄など多くの武将からも信仰されました。
京の醍醐山の高僧である俊源大徳(しゅんげんだいとく)が高尾山の琵琶滝で修行をしていたときに、この飯綱大権現の感得したことから高尾山での飯綱大権現信仰が始まり、高尾山はまさに天狗の住処となりました。

 

天狗とともに修行する山、高尾山

高尾山の天狗は、飯綱大権現が使役する眷属(神の使者、従者)です。
飯綱大権現信仰や修験の山としての存在が知られるようになると、高尾山の天狗も広まりました。そしてその神通力は、除災や開運、招福、救済のご利益をもたらすとされ、天狗の神格化とともに高尾山は天狗信仰の山となっていきます。

また高尾山は、関東における修験道の根本道場となり、蛇滝、琵琶滝での水行をはじめとして、修験者である多くの山伏が山に籠って修行を行いました。高尾山で修行をすることにより修験者は験力や呪力を体得するとされていましたから、この山伏の姿も天狗の姿と重ね合わされたと言われています。

現在では、ケーブルカーの終点である高尾山駅から歩いて約20分で薬王院へと辿り着くことができますが、江戸時代には幕府によって山林の保護や植林が積極的に行われてきたこともあり、現在でも豊かな自然が残されています。
薬王院の境内では、飯綱大権現中興開山630年記念に建立された大天狗と小天狗の像がわたしたちを迎えてくれます。

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