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鏡に映し出されるものは自分?それとも…ジンクスと身代わり鏡

風水
 
鏡は日常的に使われているグッズであると同時に、儀式的な使われ方や、結婚する際に女性が重要視する家具のひとつであること等、特別な意味を持つようなこともよくあります。そんな中で、鏡のまつわりジンクスはたくさん作られていますが、鏡のジンクスは、鏡そのものが持っている独特の位置付け=身代わりの概念と同様に、ジンクス自体も身代り的な位置付けで使われることが多々あります。

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鏡は身代わりで割れる

鏡にまつわる代表的なジンクスのひとつに「鏡は所有者に悪い出来事が起こることの身代わりで割れる」というものがあります。鏡の所有者に何か悪いことが起こる予定だったものが、鏡が身代わりになって割れてくれることで回避できている、ラッキーである、ということを示すジンクスですが、ジンクス自体も「所有者の身代わり」になってくれるケースがあります。たとえば、「2年目のジンクス」という有名なジンクスは、多くの人が共通認識として共有していますが、これに該当した場合には「2年目のため(仕方がない)」、該当しなかった場合には「(ジンクスを破られたので)良かった、ラッキーだった」といったように、話題の中心が当人からジンクス自体の評価に代わるようなケースが該当します。このあたり、ジンクスが鏡同様に「身代わりになってくれている=コミュニケーション上のクッションになってくれている」、といえそうです。

 

ジンクスは自分の姿を映す

「本人の身代わり」という位置付けで周囲の人々にとらえられている事実をさらに考察すると、当事者が活用しているジンクスは、「自分の姿を映し出している」とも考えられるのではないでしょうか。つまり、「本人が活用している、または周囲に活用されているジンクスは、自分自身の価値観や思いを映している」ということです。自身の価値観や思いが、自身または周囲が発したアウトプットに反映することを意識することは、出勤前や通学前に、身だしなみを整えるために鏡を使用することに似た行動である、といえそうです。

 

割れた鏡やジンクスが示してくれるもの

一方、「割れてしまった鏡」のイメージは、いくら身代わりになってくれたとはいえ、何か痛々しい、ちょっと悲しい感情を思い起こさせます。ただ、実は割れた鏡にも「美しさ」のかけらは残っているものです。アーティストの木村弓さんの有名な曲「いつも何度でも」に、「こなごなに砕かれた鏡の上にも、新しい景色が映される」という歌詞があります。この歌詞が示しているとおり、自分自身の身代わりとなってくれた鏡やジンクスは、その後の自身の進路となる「新しい景色」をも示してくれているのです。

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カテゴリ: その他

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